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  • 九州電気軌道

    九州電気軌道から見た火力発電所火力発電所

    軌道事業以外の付帯事業で最も規模が大きいものが電気供給事業である。軌道事業よりも早い1909年(明治42年)に開業し、軌道沿線への電灯・電力供給を展開、北九州工業地帯への電力供給の一翼を担った。1930年代後半には総収入の7割近くをこの電気供給事業が占めており、主力事業であったが、1939年(昭和14年)に火力発電所を国策会社日本発送電へ出資し、翌1940年(昭和15年)には残る配電部門を当時の九州の大手電力会社九州水力電気へと事業を譲渡して電気供給事業から撤退した。このため同事業は西鉄に引き継がれていない。発電所や供給区域はその後九州電力へ渡った。九州電気軌道 フレッシュアイペディアより)

  • 日本のダムの歴史

    日本のダムの歴史から見た火力発電所火力発電所

    電力会社による発電用ダムの建設は大井ダム以降、より大規模なダムの建設を手掛ける方向性が強くなった。水力発電は渇水時に発電能力が減衰する欠点があったが、これを火力発電所で補うことである程度解消できた(水主火従)。電力会社はより大容量の貯水池を有する水力発電所建設を計画し、ダム建設もそれに比例して大規模なものになっていった。1929年(昭和4年)に完成した高さ79.0メートルの小牧ダム(庄川)は、庄川流木事件という問題を抱えては居たが物部長穂の耐震理論を最初に導入した重力式コンクリートダムであった。またこの頃よりコンクリートに関する技術も進歩し、従来のコンクリートダムではコンクリートに玉石を混合した玉石コンクリートが主力だったが、玉石を使わない硬練りコンクリートの研究が進められた。実用化されたのは宮崎県の耳川に建設された塚原(つかばる)ダムであり、日本で初めて可動式ケーブルクレーンをコンクリート打設に用いたほか、中庸熱セメントを主成分とした硬練りコンクリートをダム本体に使用した。塚原ダムは1938年(昭和13年)完成するが、高さ87.0メートルは戦前のダムとしては日本で最も高く、歴史的な土木遺産として小牧ダム共々国の登録有形文化財に登録された。また日本有数の急流河川である黒部川では、高峰譲吉がアルミニウム精錬の電源として黒部川の開発に1917年(大正6年)に着手、その後日本電力が事業を承継し1936年に小屋平ダム(黒部川)と黒部川第二発電所、1940年に仙人谷ダム(黒部川)と黒部川第三発電所を完成させた。このダム・発電所工事は難工事であり、雪崩や吉村昭の『高熱隧道』で知られる灼熱のトンネル工事などで多くの殉職者を出しながら完成した。こうした河川一貫の水力発電事業は戦後さらに活発化する。日本のダムの歴史 フレッシュアイペディアより)

  • エレクトロゴルスク

    エレクトロゴルスクから見た火力発電所火力発電所

    エレクトロゴルスク(エレクトロゴールスク、、ラテン文字表記の例: )は、ロシアのモスクワ州東部にある都市。首都モスクワの東75キロメートルに位置し、大きな火力発電所などを擁する。エレクトロゴルスク フレッシュアイペディアより)

  • 京葉工業地域

    京葉工業地域から見た火力発電所火力発電所

    臨海部の埋立地に鉄鋼業、石油化学工業などの大規模な工場が集積する。浦安市から富津市まで連なる。代表的な都市は市川市、船橋市、千葉市、市原市、木更津市、君津市。千葉市にJFEスチール東日本製鉄所、君津市に新日鐵住金君津製鐵所がある。火力発電所が多い。京葉工業地域 フレッシュアイペディアより)

  • 関電プラント

    関電プラントから見た火力発電所火力発電所

    関電プラント株式会社(かんでんプラント)は、主に関西電力の火力発電所・原子力発電所、および各種プラントの建設、保全を専門とする会社である。本社は大阪府大阪市北区。関電プラント フレッシュアイペディアより)

  • 地球温暖化のエネルギー供給面での緩和技術

    地球温暖化のエネルギー供給面での緩和技術から見た火力発電所火力発電所

    各種エネルギー源の効率改善…既存の火力発電所や各種動力源の熱効率改善など。地球温暖化のエネルギー供給面での緩和技術 フレッシュアイペディアより)

  • 北海道・本州間連系設備

    北海道・本州間連系設備から見た火力発電所火力発電所

    北海道・本州間の連系設備の構想は、戦後、北海道産石炭の有効活用を図るため、北海道の火力発電所で発電させた電力を本州へ送電する目的で構想が生まれたが、当時は交直変換技術が未熟であったし、何より石炭を本州へ運んで発電した方が安上がりとなる試算が出て立ち消えとなった。1960年代後半になると交直変換技術の目途が立ち、現代の目的に沿った本州と北海道間の連係構想が具体化。設備は、1972年に建設が開始され、1979年12月に運用が開始された。ケーブルを敷設することとなった北海道側海域は、コンブやホッケの好漁場であり、漁具により破損しないよう海岸から水深50mの間は、ケーブルを海底下1.5mに埋設する必要が生じたこと。また、函館交直変換所の敷地において縄文時代晩期の遺跡が発掘されたことなどにより、工事完成には時間を要した。北海道・本州間連系設備 フレッシュアイペディアより)

  • 電源三法

    電源三法から見た火力発電所火力発電所

    1960年代以降の日本の電力は、火力発電所に比重を強めていたが、1973年に起こった第1次石油危機が発生して、火力発電所に依存する日本経済が大きく混乱した。それを受けて、1974年に火力発電以外の電源を開発することによって電力リスク分散をし、火力発電への過度の依存を脱却することを目的として制定された。電源三法 フレッシュアイペディアより)

  • 岐阜電気

    岐阜電気から見た火力発電所火力発電所

    開業は1894年7月28日で、岐阜市内において電灯の供給を開始した。岐阜県内では同年2月に吉城郡船津町(神岡町を経て現・飛騨市)にあった三井鉱山役員宅で電灯が点灯し、県内で初めての電灯点灯事例となっていたが、岐阜市における岐阜電灯の開業は一般供給として県内で初めての事例である。当時電灯は珍しがられ、市内今川町に設置された火力発電所には見物人が多数押し寄せたという。発電所には開業時、25キロワットの直流発電機2台を設置。電灯数は600灯余りで始まり、翌1895年(明治28年)には1000灯へ増加、1903年(明治36年)には2000灯を越えた。岐阜電気 フレッシュアイペディアより)

  • 沖縄電力

    沖縄電力から見た火力発電所火力発電所

    1953年4月 - 沖縄では戦後初の新設石炭火力発電所、牧港火力発電所1号機が運転開始(のちに重油に転換)。沖縄電力 フレッシュアイペディアより)

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