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名古屋電灯から見た火力発電所
この名古屋電灯は元は旧尾張藩の士族による会社で、1887年設立ののち1889年(明治22年)に開業した。当時すでに東京と関西の3都市には電気事業が開業しており、名古屋電灯はこれに続く日本で5番目、北陸地方を含む中部地方では最初の電気事業者となった。開業当初は小規模な火力発電所によって発電所周辺に配電するという程度の事業規模であったが、徐々に拡大し、特に明治末期に長良川と木曽川に2つの大型水力発電所を完成させてからは大型化した。その過程で、のちに「電力王」と呼ばれる実業家福澤桃介が株式を買収して進出し、1914年(大正3年)から社長に就任。以後関西電気となるまでの7年間、福澤による積極経営が続いた。(名古屋電灯 フレッシュアイペディアより)
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只見特定地域総合開発計画から見た火力発電所
1938年(昭和13年)、東條英機ら軍部統制派の圧力に押された第1次近衛内閣は戦時体制を遂行するため電力の国家管理を目論み、松永安左エ門ら電力業界の猛反発を抑え込んで第73帝国議会に「電力国家管理法案」を上程。翌1939年4月1日に国家総動員法と共に電力管理法・日本発送電株式会社法を成立させた。これに伴い特殊法人として発足した日本発送電株式会社は出力5,000キロワット以上の水力発電所および出力1万キロワット以上の火力発電所をほぼ例外なく管理下に置き、かつ同規模の新規電力開発を電力会社が実施することを事実上禁止した。(只見特定地域総合開発計画 フレッシュアイペディアより)
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黄志龍 (物理学者)から見た火力発電所
黄 志?(こう しりゅう、中国語読み:ファン・チーロン、1965年6月 - )は、中華人民共和国の物理学者(専攻:力学)。浙江大学の教授であり、火力発電所設計の第一人者。(黄志龍 (物理学者) フレッシュアイペディアより)