369件中 111 - 120件表示
  • いおう (掃海艇)

    いおう (掃海艇)から見た硫黄島 (東京都)硫黄島 (東京都)

    いおう(ローマ字:JDS Iou, MSC-631、YAS-83)は、海上自衛隊の掃海艇。たかみ型掃海艇の2番艇。艇名は硫黄島に由来する。いおう (掃海艇) フレッシュアイペディアより)

  • ツラギ (護衛空母)

    ツラギ (護衛空母)から見た硫黄島 (東京都)硫黄島 (東京都)

    1月9日、リンガエン湾への上陸作戦が開始された。ツラギの航空機は対地攻撃や上空哨戒に従事。1月12日にもリンガエン湾上空を哨戒する航空機を発進させた。翌1月13日、ツラギは1機の特攻機の攻撃を受けた。この特攻機は、ツラギの右舷側を後方へ突き抜けて突入を試みたものの、最終的には撃墜された。1月17日に至り、アメリカ陸軍航空軍は航空基地を確保。リンガエン湾上空の哨戒任務は陸軍航空軍の担当に代わった。ツラギはサンバレス州沿岸部に移動し、同地に対する上陸作戦の支援に従事。この方面での32日間の行動で、初めの2日間以外の日に実施していた航空活動を終えたツラギはウルシーに向かい、2月5日に到着した。2月21日、ツラギはグアムを出撃し、3月1日には硫黄島西方洋上に到着して、以後3月11日まで硫黄島の戦いの支援で対潜哨戒と対空哨戒を行った。ツラギは3月14日にウルシーに帰投し、次の沖縄戦のための準備を始めた。ツラギ (護衛空母) フレッシュアイペディアより)

  • ニューヨーク (戦艦)

    ニューヨーク (戦艦)から見た硫黄島 (東京都)硫黄島 (東京都)

    ニューヨークは11月21日に西海岸を出航、サンペドロに12月6日到着し、上陸作戦に備えて砲撃訓練を行った。サンペドロを1945年1月12日に出航、真珠湾に向かいその後スクリューの損傷を調査するためエニウェトク環礁へ向かった。速力に問題があったものの、硫黄島攻略部隊に加わりサイパン島沖で演習を行った。2月16日には硫黄島に対し侵攻前の艦砲射撃を実施した。続く3日間にわたって、ニューヨークは同任務に従事した他の艦よりも多くの砲弾を発射し、古参兵が何をなすことができるのかを証明するかのように、その14インチ砲で敵弾薬集積所に対する直撃弾を与えた。ニューヨーク (戦艦) フレッシュアイペディアより)

  • 摺鉢山

    摺鉢山から見た硫黄島 (東京都)硫黄島 (東京都)

    東京都小笠原村の硫黄島にある標高169mの山。 → 「摺鉢山 (東京都)」を参照。摺鉢山 フレッシュアイペディアより)

  • ジョン・バジロン

    ジョン・バジロンから見た硫黄島 (東京都)硫黄島 (東京都)

    前線への復帰が認められたバジロンは、硫黄島侵攻目前に第5海兵師団第27海兵連隊第1大隊C中隊(チャーリー・カンパニー)に配属された。1945年2月19日の作戦当日は、機関銃分隊長として硫黄島レッド2区(レッド・ビーチ2)に上陸したが、硫黄島は要塞化されており、日本軍は米軍が上陸して内陸部に侵攻する地点に集中砲火を浴びせた。部隊は身動きがとれなくなったが、バジロンは単独で日本軍陣地の脇を突破、防御陣地(トーチカ)の上に乗って手榴弾や爆弾などで攻撃するなどして、たった一人で敵陣地を破壊し、守備していた日本軍部隊を壊滅させた。続いてバジロンは千鳥飛行場(米側呼称:Airfield Number 1)方面に向かい、激しい迫撃砲・重砲火のなか、地雷原に嵌った米軍戦車を支援し安全な場所まで誘導した。次いで、飛行場の端に沿って移動しようとしたところ迫撃砲弾の金属片を喰らい、戦死した。ジョン・バジロン フレッシュアイペディアより)

  • 大日本帝国海軍航空隊

    大日本帝国海軍航空隊から見た硫黄島 (東京都)硫黄島 (東京都)

    1945年(昭和20年)になると日本本土でも、マリアナ諸島・硫黄島・沖縄県から飛来する米陸軍機や、日本近海に接近した連合国機動部隊から発進した艦載機によって頻繁に日本本土空襲を受けるようになった。飛行機工場は破壊され訓練用の燃料も不足がちで、本土上空の制空権確保もままならなくなっていた。大日本帝国海軍航空隊 フレッシュアイペディアより)

  • 千葉県の歴史

    千葉県の歴史から見た硫黄島 (東京都)硫黄島 (東京都)

    1944年(昭和19年)、サイパン島・グアム島・テニアンが占領され、日本本土への空襲が本格化すると、房総半島はB-29爆撃機の進入ルートとなり、現在の成田市から習志野市の上空では激しい航空戦が行なわれるようになった。しかし、県内の被害は軽微で、空母や硫黄島から飛来した航空機(F6Fヘルキャット・F4Uコルセア・P51ムスタングなど)が軍関係施設や港湾施設、工場や学校、集落に対して機銃掃射を加えたり、爆撃隊が帰還途中に不要爆弾破棄のため、投下するようなことはあったが、千葉空襲、銚子空襲以外に本格的な空襲が実施されることはなかった。千葉県の歴史 フレッシュアイペディアより)

  • シャーク (SS-314)

    シャーク (SS-314)から見た硫黄島 (東京都)硫黄島 (東京都)

    7月10日、シャークは2回目の哨戒で小笠原諸島方面に向かった。7月19日、シャークはの地点で敵船団に対して4本の魚雷を発射するが、船団は鋭く方向を変え、魚雷は命中しなかった。8月1日、シャークは再び船団と遭遇、攻撃位置に移動したが、3隻の護衛艦による攻撃のため船団への攻撃を行うことはできなかった。その日の午後、シャークは硫黄島近海へ向かい、空母機動部隊の救助巡航任務に当たった。8月4日の午後、シャークは空母レキシントン (USS Lexington, CV-16) 所属の墜落した雷撃機のパイロット2名を救出した。8月19日、シャークは50日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。後日真珠湾に回航された。シャーク (SS-314) フレッシュアイペディアより)

  • チェスター (重巡洋艦)

    チェスター (重巡洋艦)から見た硫黄島 (東京都)硫黄島 (東京都)

    レイテ沖海戦終了後、チェスターは高速機動部隊の護衛から離れ、11月8日からはウルシー環礁やサイパン島から出撃して硫黄島や小笠原諸島に対して砲撃を繰り返した。11月20日早朝には事件もあった。この日もいつものようにサイパン島経由の硫黄島砲撃のため、チェスター、ペンサコーラ、ソルトレイクシティおよび駆逐艦4隻はウルシー環礁の出入り口の一つであるムガイ水道を東に航行中だった。0523、水道東口を哨戒中の米掃海艇(USS Vigilance, AM-324)が潜望鏡と航跡を発見し、通報。これを受け、艦隊は水道を出るとともに之字運動を開始。その後、チェスターが550m先に、その右舷を航行していた米駆逐艦(USS Case, DD-370)が艦隊に接近しようと南下する潜望鏡を発見。チェスターはこれを押し潰そうとスピードを上げた。「潜航艇が魚雷発射のために占位運動中」と判断したケースは、潜望鏡がチェスターを向いたままなのを見て体当たりを決意。チェスターは衝突を避けるためスピードを落として進路を変えた。0538、ペンサコーラの右舷2000mの距離で潜望鏡を発見。ペンサコーラはこれを回避した。潜航艇はペンサコーラの前方を潜航通過して隊列の南側に浮上し、左に大きく旋回してチェスターの右正横に移動。ケースはここにきて面舵一杯、右舷後進一杯、左舷機前進一杯で急速転舵し、0538に浮上航走中の潜航艇の左側から中央部を艦首でへし折り、続いて旋回しながら爆雷を投下し、これを撃沈した。この潜航艇は伊36から発進した回天である可能性が高い。チェスター (重巡洋艦) フレッシュアイペディアより)

  • 硫黄島ロランC主局

    硫黄島ロランC主局から見た硫黄島 (東京都)硫黄島 (東京都)

    硫黄島ロランC主局(いおうとうロランシーしゅきょく)は、小笠原諸島火山列島の硫黄島にあったロランC送信施設。1994年に廃局となった。硫黄島ロランC主局 フレッシュアイペディアより)

369件中 111 - 120件表示

「硫黄島」のニューストピックワード