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  • スティーマー・ベイ (護衛空母)

    スティーマー・ベイ (護衛空母)から見た硫黄島 (東京都)硫黄島 (東京都)

    2月5日から10日までウルシー環礁に停泊した後、第5艦隊(レイモンド・スプルーアンス大将)と共に硫黄島攻略に向けて出航する。スティーマー・ベイは他の4隻の護衛空母と共に、2月16日に作戦担当区域である硫黄島西方50カイリの海域に到着した。その任務は2月19日の作戦当日までに小笠原諸島の日本軍基地を無力化することと、作戦当日の海兵隊上陸部隊に対する航空支援、直接支援を行うことであった。スティーマー・ベイ (護衛空母) フレッシュアイペディアより)

  • チェスター (重巡洋艦)

    チェスター (重巡洋艦)から見た硫黄島 (東京都)硫黄島 (東京都)

    レイテ沖海戦終了後、チェスターは高速機動部隊の護衛から離れ、11月8日からはウルシー環礁やサイパン島から出撃して硫黄島や小笠原諸島に対して砲撃を繰り返した。11月20日早朝には事件もあった。この日もいつものようにサイパン島経由の硫黄島砲撃のため、チェスター、ペンサコーラ、ソルトレイクシティおよび駆逐艦4隻はウルシー環礁の出入り口の一つであるムガイ水道を東に航行中だった。5時30分、先頭を航行していたチェスターは約550メートル先に潜望鏡を発見。チェスターはこれを押し潰そうとスピードを上げたが、同様に潜望鏡を発見していた駆逐艦ケース (USS Case, DD-370) が突進していったので、チェスターは衝突を避けるためスピードを落として進路を変えた。やがて、潜望鏡の持ち主はケースによって真っ二つにされ、爆雷で破壊された。チェスター (重巡洋艦) フレッシュアイペディアより)

  • ティグロン (潜水艦)

    ティグロン (潜水艦)から見た硫黄島 (東京都)硫黄島 (東京都)

    5月20日、ティグロンは2回目の哨戒で日本近海に向かった。5月25日、ティグロンは孀婦岩と鳥島を発見。また、不時着水した硫黄島の第19戦闘飛行団のパイロットを救助した。5月27日、ティグロンはを発見し、5インチ砲と40ミリ機関砲で攻撃した。ティグロンが向きを変えたとき、折りからの激しい波がティグロンを襲い、3名の乗組員を負傷させた。このアクシデントにもかかわらず、ティグロンは炎上するラガーに止めを刺した。戦闘後、ティグロンは指定された救助配備の海域に戻った。ティグロン (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • コビア (潜水艦)

    コビア (潜水艦)から見た硫黄島 (東京都)硫黄島 (東京都)

    6月26日、コビアは最初の哨戒で小笠原諸島に向かった。7月6日、コビアはこの海域での最初の戦果として特設監視艇い号高宮丸を撃沈した。7月13日朝、コビアは北緯27度27分、東経140度32分の地点で輸送船団を発見し、7時26分に海軍徴用船大慈丸(大阪商船、2,813トン)を撃沈した。7月18日には硫黄島に向かう3714船団を発見し、船団から遅れて追及中だった特設砲艦第十雲海丸(中村汽船、851トン)を北緯29度15分、東経139度8分の地点で2時ごろに轟沈させ、7時ごろには陸軍輸送船日秀丸(日産汽船、7,785トン)を北緯28度40分、東経139度25分の父島北西250キロ地点でそれぞれ撃沈した。最後に沈めた日秀丸はへの増援の戦車連隊を輸送中であった。第26戦車連隊は隊員が2名死亡、搭載していた28両の戦車は船と共に沈んだ。救助された兵員も、装備品を全て喪失した。7月20日には父島近海で3隻の小型艇と銃撃戦を行い、その内の一隻が衝突しコビアは船体を小破しつつも、特設駆潜艇の第三郵船丸(郵船近海機船、193トン)、第二号海王丸(長崎県、62トン)と小型貨物船Shoei Maruを撃沈した。8月5日にも、雑用船弥生丸(図南汽船、495トン)を撃沈した。生存者をコビア最初の戦時捕虜とした。8月14日、コビアは49日間の行動を終えてマジュロ環礁に帰投し、修理に従事した。コビア (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • アーチャーフィッシュ (潜水艦)

    アーチャーフィッシュ (潜水艦)から見た硫黄島 (東京都)硫黄島 (東京都)

    5月28日、アーチャーフィッシュは3回目の哨戒で小笠原諸島方面に向かった。6月28日、アーチャーフィッシュはの硫黄島沖で仮泊中の小船団を発見。10時ごろに雷撃し、魚雷1本が第24号海防艦の前部弾薬庫付近に命中。第24号海防艦は誘爆はしなかったものの、間もなく艦首から沈没していった。その後は硫黄島に対する第58任務部隊(マーク・ミッチャー中将)に対する救助支援任務に従事。また、7月2日には輸送船団を攻撃して、輸送船1隻撃沈および護衛艦1隻撃破を報じた。7月4日にはジョン・アンダーソン(後の少将)を救助した。7月15日、アーチャーフィッシュは48日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。潜水母艦プロテウス (USS Proteus, AS-19) による整備を受けた。アーチャーフィッシュ (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • ルンガ・ポイント (護衛空母)

    ルンガ・ポイント (護衛空母)から見た硫黄島 (東京都)硫黄島 (東京都)

    1月23日から2月10日までルンガ・ポイントは硫黄島侵攻作戦の準備を行い、作戦は2月16日に開始した。この頃、第三航空艦隊(寺岡謹平中将)はアメリカ艦隊への反撃作戦をいくつか講じていたが、彼我の戦力差などを考慮して「少数機の部隊を小刻みに発進させて奇襲を行う」という戦法に決定した。これを受け、第六〇一海軍航空隊は彗星12機、天山8機、零戦12機を攻撃隊として用意して「第二御楯特別攻撃隊」と命名し、八丈島を中継して攻撃することとなった。第二御楯特攻隊は2月20日に最初の出撃を行ったが悪天候で引き返し、天候が持ち直した翌2月21日に再び出撃。八丈島に到着後、部隊は5つに小分けされ、15分間隔で硫黄島近海に向かって出撃していき、これまでの攻撃で空母サラトガ (USS Saratoga, CV-3) を大破させていた。ルンガ・ポイントは僚艦ビスマーク・シー (USS Bismarck Sea, CVE-95) らとともに硫黄島の東方海上にあった。日没後、ビスマーク・シーの見張りは水平線上に接近してくる3つの目標を発見。この目標はルンガ・ポイントに照準を定めているように見えたが、1機はビスマーク・シーの対空砲火で撃墜。残る2機の特攻機がビスマーク・シーに急速に接近してきたが、一部の機関砲および機銃は射程内にルンガ・ポイントが入ってきたため撃てなかった。間もなくビスマーク・シーに1機の特攻機が命中し、続けさまに特攻機か通常爆撃によって被害が拡大したビスマーク・シーは15分で沈没していった。ルンガ・ポイントは三機の天山に襲撃されたものの、1機は撃墜して残る2機は魚雷を発射したものの、幸運な事に艦首と艦尾をかすめていった。艦尾方向に魚雷を発射した天山は、攻撃後翼端が艦橋後部に接触。機体は飛行甲板上を滑っていって海中に転落し、飛行甲板上に火を撒き散らしたもののすぐに消し止められ、攻撃による死傷者も出なかった。ルンガ・ポイントはこれ以上の被害を受けなかった。3月8日までに硫黄島の飛行部隊は完全に機能するようになり、艦艇は沖縄攻略準備のためにウルシー環礁に帰投した。ルンガ・ポイント (護衛空母) フレッシュアイペディアより)

  • スピアフィッシュ (サーゴ級潜水艦)

    スピアフィッシュ (サーゴ級潜水艦)から見た硫黄島 (東京都)硫黄島 (東京都)

    11月12日、スピアフィッシュは12回目の哨戒で日本近海に向かった。哨戒の前半、スピアフィッシュは硫黄島および南鳥島に対する写真偵察調査を行い、後半は南方諸島海域で救助艦任務および攻撃哨戒を行った。11月28日、スピアフィッシュは硫黄島近海で、上空を飛行中のB-24を誤って攻撃した。12月19日には墜落したB-29のクルー7名を救助した。1945年1月11日、スピアフィッシュはの地点で、漂流中の渡し船嵩山丸を発見した。嵩山丸は22総トンのエンジン付き木造渡し船で、1944年12月1日、志布志湾内を内之浦港へ航海中にエンジンが故障して、太平洋上へ流されていた。2時間の短行程の予定であったが、不幸中の幸いにも正月用の特配物資を運搬中だったため、多少は食糧が積まれていた。乗客22人と船員4人が乗船していたうち、2人が衰弱死し、12月29日にアメリカ軍飛行艇の機銃掃射で14人が死亡したため、遭遇当時の生存者は10人となっていた。1月11日にアメリカ軍哨戒機が再び同船を発見し、生存者がいるらしいとスピアフィッシュに連絡した。嵩山丸を発見したスピアフィッシュは無人船と判断して攻撃したが、途中で生存者に気付いた。スピアフィッシュは救助を始めたが、聴音により日本の対潜艦艇が接近していると誤認し、3人を捕虜として収容した時点で救助を打ち切り、嵩山丸を艦砲により撃沈した。収容した3人のうち1人は、数日後に自殺を図って重傷を負ったため、モルヒネ注射で安楽死させた。1月24日、スピアフィッシュは64日間の行動を終えて真珠湾に帰投。これがスピアフィッシュの最後の哨戒となった。スピアフィッシュ (サーゴ級潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • スナッパー (潜水艦)

    スナッパー (潜水艦)から見た硫黄島 (東京都)硫黄島 (東京都)

    9月5日、スナッパーは11回目の哨戒で小笠原諸島方面に向かった。10月1日、スナッパーはの地点で護衛艦によって護衛された2隻の輸送船団を発見した。スナッパーは大型の目標に対して前部発射管の魚雷を発射し、小型の目標に向けても魚雷を発射した。魚雷は海軍徴傭船盛安丸(川崎汽船、1,900トン)と敷設艇網代に命中し、両方とも撃沈した。その後は硫黄島沖で救助艦任務を10月18日まで行った。10月27日、スナッパーは52日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。これがスナッパーの最後の哨戒となった。スナッパー (潜水艦) フレッシュアイペディアより)

  • 硫黄島〜戦場の郵便配達〜

    硫黄島〜戦場の郵便配達〜から見た硫黄島 (東京都)硫黄島 (東京都)

    ドラマ部分では、アメリカ軍が迫る硫黄島に向け、決死の覚悟で輸送任務を行う根本正良海軍少尉と市丸利之助海軍少将(ともに実在の人物)との交流を、ドキュメンタリー部分では市丸少将の遺族や硫黄島から生還した兵士の証言を中心に製作されている。硫黄島〜戦場の郵便配達〜 フレッシュアイペディアより)

  • コルホーン (DD-801)

    コルホーン (DD-801)から見た硫黄島 (東京都)硫黄島 (東京都)

    1944年10月10日に真珠湾に到着、訓練および偵察任務に従事する。1945年2月19日、硫黄島沖に到着し、コルホーンは輸送船の護衛としてレーダーピケット任務、硫黄島への支援砲撃を担当した。3月1日、沿岸砲台からの砲撃が命中し、1名が死亡、16名が負傷した。サイパンでの修理後、コルホーンは沖縄に向けて出航し、3月31日に到着、レーダーピケット任務に就く。コルホーン (DD-801) フレッシュアイペディアより)

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