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硫黄島 (東京都)から見た海上保安庁
2007年6月18日、国土地理院および海上保安庁海洋情報部(海図の作成を担当)にて構成される「地名等の統一に関する連絡協議会」は「硫黄島」の呼称を「いおうじま」から「いおうとう」に変更する同日協議された結果を発表した。また、併せて北硫黄島は「きたいおうとう」に、南硫黄島は「みなみいおうとう」にそれぞれ変更された。これにより火山(硫黄)列島の三島とも「島」の公式呼称はこれまでの「じま」から「とう」となった。国土地理院では、2007年9月発行の地形図から、ついで海上保安庁の発行する海図でも「いおうとう」が正式な表記となっている。(硫黄島 (東京都) フレッシュアイペディアより)
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硫黄島 (東京都)から見たボランティア
これまでの収容作業は、主に硫黄島協会や戦没者遺族等のNPO法人やボランティア等の手で行われていたが、2010年度国家予算では滑走路部分の遺骨収容のための予算が初めて1億円を超えて計上され、2010年8月10日には菅直人首相の指示により、政府による「硫黄島からの遺骨帰還のための特命チーム」が設置された。今後はこれまでの遺族、関係者の証言等に加え、米国での資料調査により情報収集を行い、収容作業におけるNPO法人やボランティアからの協力の拡充、自衛隊との協力体制の拡充をし、自衛隊基地施設下をも含む全島における面的調査を強化することとしている。また、遺族者等の慰霊等のための渡航機会の拡充、インターネット等を活用した遺留品の公開を実施して戦争の悲惨さを広く知らしめるとともに、将来は硫黄島以外の戦域での遺骨帰還作業実施も予定されている。(硫黄島 (東京都) フレッシュアイペディアより)
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硫黄島 (東京都)から見た軽油
火山活動による隆起が非常に激しいため、硫黄島に港を築港することができず、船積みのボートが着けられる程度の小さな波止場(桟橋)しか存在しない。その関係で大型船舶は少し沖合いに停泊せざるを得ず、航空機で運べないような重量物は、おおすみ型輸送艦を使い、艦載のLCACで海岸から少し内陸のところにある揚陸施設に揚陸させる。航空燃料や軽油などは、沖合いに停泊した民間タンカーから、揚陸施設へと長大ホースを伸ばして補給を行う。硫黄島への宅配便・郵便物は通常の硫黄島の住所を記載しても届かない(日本郵便においても「交通困難地」とされている)。隊員の家族の仕送りや外部から業務用の資材や郵便物などは、自衛隊が指定した基地へ一括搬入することになる。(硫黄島 (東京都) フレッシュアイペディアより)
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硫黄島 (東京都)から見たアメリカ合衆国海兵隊
1945年(昭和20年)2月から3月にかけて行われた硫黄島の戦いで、日本軍が2万129人が戦死し、米軍は2万8686人の戦死傷者(戦死6,821名・戦傷2万1865名)を出す大激戦が繰り広げられた。そして3月17日、硫黄島は米軍に占領された。摺鉢山にアメリカ合衆国海兵隊によって星条旗を掲げる際に撮った写真は、米バージニア州アーリントン国立墓地(米国の戦没者専用墓地)にある「合衆国海兵隊記念碑」のモデルにもなっている。(硫黄島 (東京都) フレッシュアイペディアより)