
道嶋嶋足から見た相模国
天平宝字8年(764年)9月の藤原仲麻呂の乱において、藤原仲麻呂の子・訓儒麻呂が勅使・山村王を襲撃して御璽と駅鈴を奪った際、嶋足は授刀衛少尉・坂上苅田麻呂とともに孝謙上皇の勅命を受けて、訓儒麻呂を襲いこれを射殺した。乱における武功により従七位上から一足飛びに十一階昇進して従四位下に昇叙、宿禰姓を賜姓された。翌月の10月には授刀少将兼相模守に任ぜられ、翌天平神護元年(765年)に勳二等の叙勲を受け、近衛員外中将に任じられる。こののち道嶋宿禰に改姓。(道嶋嶋足 フレッシュアイペディアより)