108件中 51 - 60件表示
  • 福浦和也

    福浦和也から見た川岸強

    350二塁打:2011年4月13日、対東北楽天ゴールデンイーグルス2回戦(QVCマリンフィールド)、7回裏に川岸強から右翼線二塁打 ※史上30人目福浦和也 フレッシュアイペディアより)

  • 福浦和也

    福浦和也から見た西岡剛 (内野手)

    、初の全試合出場を達成し、自己最多の172安打、21本塁打、76打点で3年連続の打率3割を記録。また、歴代2位の50二塁打、史上初の2年連続40二塁打、シーズン2度の1試合5安打を達成。なお、シーズン172安打は2010年に西岡剛に更新されるまで、球団3位の記録であった。守備面では3年ぶりに外野を守る機会もあったが、一塁手部門で初のゴールデングラブ賞を獲得した。福浦和也 フレッシュアイペディアより)

  • 福浦和也

    福浦和也から見た西村龍次

    初盗塁:1998年7月28日、対福岡ダイエーホークス16回戦(北九州市民球場)、2回表に二盗(投手:西村龍次、捕手:城島健司)福浦和也 フレッシュアイペディアより)

  • 福浦和也

    福浦和也から見た大塚明

    、入団してすぐに肩の故障に悩まされ、投球練習がほとんどできない状態に陥る。当時二軍打撃コーチだった山本功児から呼び出され、同期の小野晋吾と共にフリーバッティングを指示されたところ、快打を連発して打者への転向を打診される。しばらくは投手へのこだわりから固辞するが、山本からの必死の説得で7月に転向を決める。その後は、同期の大塚明と連日の特守で鍛えられながらも、一軍出場がないまま3年間をファームで過ごす。同年10月8日のイースタン・リーグ最終戦で、横浜ベイスターズの友利結から放った二塁打がファームでの初安打となる。ファームでの成績は、1年目の1994年は7試合で打率.125、0本塁打、2年目のはレン・サカタ二軍監督が若手を積極起用した影響もあり、76試合で打率.263、5本塁打と飛躍し、ジュニアオールスターに出場。また、8月のイースタン月間MVPを受賞する。3年目のは54試合で打率.235、0本塁打の成績を残した。福浦和也 フレッシュアイペディアより)

  • 福浦和也

    福浦和也から見た横田久則

    初本塁打:1997年8月1日、対西武ライオンズ16回戦(千葉マリンスタジアム)、2回裏に横田久則から右中間へ逆転決勝2ラン福浦和也 フレッシュアイペディアより)

  • 福浦和也

    福浦和也から見た李承ヨプ (野球)

    、前年韓国で56本塁打を記録した一塁手の李承燁が入団したが、この年も打率.314(リーグ9位)、11本塁打の成績で一塁のレギュラーを守った。両リーグ最多の42二塁打、史上初の3年連続40二塁打、8月20日の対福岡ダイエーホークス戦では通算1000本安打を達成。6月1日の同対戦では杉内俊哉から満塁本塁打を放った。また、2度目となるオールスターゲームと、シーズンオフに開催された日米野球にも出場した。福浦和也 フレッシュアイペディアより)

  • 福浦和也

    福浦和也から見たFatboy Slim

    (3打席目)Right Here Right Now - Fatboy Slim福浦和也 フレッシュアイペディアより)

  • 福浦和也

    福浦和也から見た中日ドラゴンズ

    、慢性的な腰痛や、金泰均の加入などを考慮して指名打者に転向する。ここ数年の不振から脱却し、序盤は7番や代打で出場していたものの後半戦は里崎智也、サブローの離脱や大松尚逸の不振から6番や5番を打つことも多くなり、9月8日の対オリックス・バファローズ戦では不振の金泰均に代わって、7年ぶりに4番でのスタメン出場を果たした。規定打席には到達しなかったものの最終的に打率.295を記録し、ここ数年減少していた本塁打も13本と2004年以来の2桁を記録。3月22日の対埼玉西武ライオンズ戦では通算100号本塁打を達成。史上258人目だが、1539試合での到達は6番目に遅い記録であった。また、代打率.364と代打の切り札としても結果を残した。クライマックスシリーズファーストステージの対埼玉西武ライオンズ戦では、延長11回に土肥義弘から勝ち越しソロ本塁打を放ち、勝利に貢献。チームはファイナルステージも突破し、日本シリーズでも中日ドラゴンズを破り、シーズン3位から5年ぶりの日本一を達成。1年を通した活躍で、指名打者部門で初のベストナインを受賞した。5月13日の対横浜ベイスターズ戦(横浜スタジアム)にて6回表一死満塁の場面で代打出場し、真田裕貴から、ライトポール際へ大飛球を放ち、最初は一塁塁審にファウルを宣告されるも、2010年から導入されたビデオ判定により本塁打と認定され「代打逆転満塁ビデオ判定弾」となった。ビデオ判定導入以降ファウルが本塁打に覆ったのは初の事例である。福浦和也 フレッシュアイペディアより)

  • 福浦和也

    福浦和也から見たフレッシュオールスターゲーム

    、入団してすぐに肩の故障に悩まされ、投球練習がほとんどできない状態に陥る。当時二軍打撃コーチだった山本功児から呼び出され、同期の小野晋吾と共にフリーバッティングを指示されたところ、快打を連発して打者への転向を打診される。しばらくは投手へのこだわりから固辞するが、山本からの必死の説得で7月に転向を決める。その後は、同期の大塚明と連日の特守で鍛えられながらも、一軍出場がないまま3年間をファームで過ごす。同年10月8日のイースタン・リーグ最終戦で、横浜ベイスターズの友利結から放った二塁打がファームでの初安打となる。ファームでの成績は、1年目の1994年は7試合で打率.125、0本塁打、2年目のはレン・サカタ二軍監督が若手を積極起用した影響もあり、76試合で打率.263、5本塁打と飛躍し、ジュニアオールスターに出場。また、8月のイースタン月間MVPを受賞する。3年目のは54試合で打率.235、0本塁打の成績を残した。福浦和也 フレッシュアイペディアより)

  • 福浦和也

    福浦和也から見た福岡ダイエーホークス

    初三振:1997年7月8日、対福岡ダイエーホークス15回戦(千葉マリンスタジアム)、工藤公康から福浦和也 フレッシュアイペディアより)

108件中 51 - 60件表示