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笠井健太から見た福田健二
2004年からサンパウロ州のパウリスタFCの下部組織に移り、12月には2年間のプロ契約を結ぶ。俊足と運動量を買われ、フォワードからディフェンダーに転向。パウリスタでは本田技研でプレー経験を持つヴァグネル・マンシーニ監督や、元日本代表FWであった呂比須ワグナーコーチなどの日本人選手に理解のある指導者の下で才能を徐々に開花させていき、2005年にはBチームで右サイドバックのポジションを奪取し、2006年にはトップチームに昇格して、同年4月2日にアメリカ-SP戦でプロデビュー。サンパウロ州選手権やブラジル全国選手権・セリエB(2部)などで活躍した。2006年シーズン終了後にはパウリスタからの3年間の契約延長オファーを受けて残留した。日本人選手としては廣山望、福田健二、澤昌克に続く4人目のリベルタドーレス杯出場も果たしている。(笠井健太 フレッシュアイペディアより)
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澤昌克から見た福田健二
2008年に移籍したシエンシアーノは、2003年のコパ・スダメリカーナにおいてペルーのサッカークラブとして初の国際タイトルを獲得。また翌2004年のレコパ・スダメリカーナでも優勝を果たした強豪クラブである。澤のデビュー戦となるコパ・リベルタドーレス予選、ウルグアイのモンテビデオ・ワンダラーズ戦(ホーム)でいきなりゴールを決め1対0で勝利に導いた。アウェーゲームの第2戦ではスコアレスドローに持ち込み澤の第1戦でのゴールを守りきり本戦出場を果たした。本戦初戦となる2月14日のナシオナル・モンテビデオ戦で先発フル出場。廣山望、福田健二に続くリベルタドーレス杯本戦でプレーした3人目の日本人選手となった。(澤昌克 フレッシュアイペディアより)