-
アメリカ横断ウルトラクイズ (コンピュータゲーム)から見た福留功男
番組で出題者が福留功男から福澤朗に交代した直後の時期に発売された。そのせいか、司会者は顔は福留、服装は赤いブレザーの福澤になっている(ゲーム中で司会者の名前は表示されない)。ウルトラクイズのゲームを通してチェックポイントが一番多い。(アメリカ横断ウルトラクイズ (コンピュータゲーム) フレッシュアイペディアより)
-
ワールドクイズ ザ・びっくり地球人!から見た福留功男
不振に終わった『ザ・びっくり地球人!』が一旦放送終了、『土曜グランド劇場』再開までの残り3ヶ月間の穴埋め番組として作られた。やす・きよもレギュラーから外れ、福留功男が司会となる。解答形式もそれまでのペア対抗から、男性軍VS女性軍のチーム対抗に変更。同時にビックリさんをクイズで取り上げるのも止め、世界中のあらゆる話題・情報を網羅した内容に変更となった。新装第1回目は「ソウルオリンピック特集」。2回目は福留が当時出題者を務めていたアメリカ横断ウルトラクイズにちなんで「ガラパゴスに行きたいかーっ」というタイトルだった。(ワールドクイズ ザ・びっくり地球人! フレッシュアイペディアより)
-
1991年のテレビ (日本)から見た福留功男
7日〜28日 - 日本テレビ系木曜スペシャルにて『第15回アメリカ横断ウルトラクイズ』を放送。第1回より国外レポーターを担当し、番組の顔となっていた福留功男は、第1問をもって番組から勇退、代わって第2問目からは福澤朗(当時:日本テレビアナウンサー)が2代目国外レポーターに就任した(福澤は翌年の第16回(最終回)まで務めた)。(1991年のテレビ (日本) フレッシュアイペディアより)
-
いつみても波瀾万丈から見た福留功男
元々、逸見政孝が司会の同系『いつみても平平凡凡』(芸能人とその家族がゲスト出演のトーク番組。最後に賞品獲得をかけたゲームに挑戦)を引き継ぐ形で逸見と間寛平のコンビで1992年3月22日にスタートしたが、1993年9月に逸見が癌による闘病生活に入り、全仕事を休止したため、福留功男が代理司会を担当(初日は逸見より病床からの「ご迷惑をお掛けしますが宜しくお願いします」という録音メッセージが放送された)。その後、同年12月25日に逸見が逝去。それに伴い、福留がそのまま正式に2代目の司会者となり、最終回まで司会を務めた。なお、前身番組時代からタイトルに付けられた「いつみても」は、初代司会者である逸見の名字「いつみ」から取ったものである。このことは、逸見がかつて在籍していたフジテレビの5期先輩である露木茂がゲスト出演した際にも福留が再確認する表現がなされた。(いつみても波瀾万丈 フレッシュアイペディアより)
-
全国高等学校クイズ選手権から見た福留功男
初代総合司会は本家・ウルトラクイズの顔であった福留功男が担当、『ウルトラクイズ』の人気も相まって第6回には約23万人の参加者を数えるなど、開始後まもなくして規模としては『ウルトラクイズ』を凌ぐ番組となった。開始当初は、兄弟番組であった『ウルトラクイズ』の「クイズ形式の人間ドキュメンタリー」や「知力・体力・時の運」といったコンセプトを引き継ぎ、「ドロンコクイズ」や「バラマキクイズ」といった『ウルトラクイズ』名物の企画も数多く行われた。しかし、回を重ねるごとに内容も変化し、3人1組のチームをそれぞれ「知力」「体力」「運」の各担当に振り分けて競わせる形式など、高校生たちの「チームワーク」が、個人戦である『ウルトラクイズ』と異なる『高校生クイズ』独自のキーワードとなってゆく。(全国高等学校クイズ選手権 フレッシュアイペディアより)