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福留孝介から見た井端弘和
はWBC代表に選出され、スタメン3番として起用されたが、予選リーグでの中国戦の本塁打以外はなかなか結果が出なかった。しかしスタメンから外された準決勝の対韓国戦において、7回に代打で出場し、金炳賢(キム・ビョンヒョン)から先制2点本塁打を放ち、日本の決勝進出に大きく貢献。それまで日本は韓国相手に2敗しており3連敗はできない状況だったためか、この本塁打はマスコミにも大きく取り上げられた。決勝戦でも代打で2点適時打を放つなど、持ち前の勝負強さを発揮した。シーズンに入ってからは開幕は5番で起用されるものの、前を打つ2番藤井淳志、3番井端弘和の不調もあり、3番に昇格する。同年6月14日、インボイスSEIBUドームにおける西武戦で、クリストファー・ギッセルから左中間に二塁打を放ち、通算1000本安打を達成。6月末に太ももを痛め14試合を欠場するものの、復帰後は首位打者争いを独走。同年10月10日、マジックナンバーを1として迎えた対巨人戦で、12回表に決勝点となる勝ち越しタイムリーを放ち優勝を決めると共に、シーズン打率.351・長打率.659・本塁打30本(最終的には31本塁打)・100打点(最終的には自己最多となる104打点)・100得点を達成。この内、3割・30本・100打点・100得点は中日の選手としての西沢道夫以来56年ぶりの達成であった。10月は打率.275、OPS.831とやや調子を落としたが、3月から9月まで月間打率3割、同OPS10割を切ることのない安定した打撃をシーズンを通して続け、以来4年ぶりの首位打者と2年連続の最高出塁率を獲得(4番を担ったウッズも同年47本塁打・144打点と、本塁打のでにくいナゴヤドーム移転により不滅の記録となったかと思われていた西沢の年間球団記録、46本塁打・135打点をともに塗り替えた上で本塁打王・打点王の二冠王に輝き、打撃三部門タイトルは中日所属のこの2人により独占された)。二塁打もセ・リーグのシーズン記録を塗り替える47本を記録した。しかし、日本シリーズではまたしても活躍できず、チームは日本一を逃した。11月14日にはセ・リーグのシーズンMVPを受賞した。ポジションも開幕はライト、その後は元々予定されていたセンターへコンバートされたが、シーズン終盤からはライトに固定となった。オフには12月2日の『スーパーサタデー』に出演した際、司会の峰竜太から「メジャーに興味はありますか?」と聞かれ、「興味がないと言ったら嘘になるので、あります。WBCに出場してメジャーへの憧れがより一層強くなった」と答え、この頃からFA権取得以降のメジャー移籍に含みを持たせる発言をしていた。(福留孝介 フレッシュアイペディアより)
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福留孝介から見た山本浩二
その2試合後となる6月25日の広島戦(マツダスタジアム)で、NPB/MLB通算2000本安打を達成した。第2打席にライトへの2塁打を放ち王手とすると、続く第3打席に2塁方向への内野安打を放ち達成した。7月30日の中日戦(甲子園)で、中日に所属していた2003年6月8日の広島戦(ナゴヤドーム)で達成して以来、13年ぶり自身2度目となるサイクル安打を達成した。これはNPBでは通算69度目の達成となる。サイクル安打を複数回達成した選手としては、藤村富美男、松永浩美、ロバート・ローズに次ぐ4人目となる。また、2016年は7月20日に大島洋平が達成しており、2004年以来となる2人以上のサイクル安打達成者が誕生した年となった。なお、このサイクル安打は39歳3か月での達成であり、1983年4月30日に達成した山本浩二の36歳6か月を更新し、最年長記録を塗り替えた。(福留孝介 フレッシュアイペディアより)
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福留孝介から見たスコット・マシソン
には、右翼手として公式戦開幕3戦目の巨人戦(3月30日・東京ドーム)2回裏の守備で、大竹寛が放った浅い飛球を追って二塁手の西岡剛と激突(記録は右越2点三塁打)。その勢いで宙を舞った西岡は、後頭部からグラウンドに落下したため、大事を取って救急車で病院に搬送された(搬送先の病院での診断は鼻骨の骨折・胸部の打撲・軽度の左肩鎖関節の脱臼)。福留もしばらく昏倒していたが、西岡の搬送後から守備に復帰。4回表の第2打席(失策による出塁)で代走を送られるまで出場を続けた後に、病院での診察で胸部打撲との診断を受けた。4月29日の広島戦(甲子園)でブライアン・バリントンから決勝のソロ本塁打を放ってNPB一軍通算200本塁打を記録したが、以降の公式戦では1ヶ月以上長打が出なかった。また、開幕直後から打率が1割台にとどまったことに加えて、緒方凌介の台頭などの影響で次第に出場機会が減少。6月10日から同月26日までは、阪神への入団後初めて、不調を理由に出場選手登録を抹消されていた。一軍復帰後は、コンパクトなスイングへの改造によって打撃が復調したことから、再び右翼のレギュラーを確保。7月10日の中日戦(ナゴヤドーム)では自身10年振りの犠打を成功させるなど、攻守にわたってチームプレーをたびたび披露している。同月22日の巨人戦(甲子園)では、引き分け寸前の延長12回裏2死無走者で迎えた打席で、スコット・マシソンからライトポール直撃のサヨナラ本塁打を放った。福留はこの本塁打で、NPBの一軍公式戦における延長12回以降のサヨナラ本塁打の通算最多記録(3本)を樹立。巨人戦における延長12回以降のサヨナラ本塁打は、阪神球団史上初の快挙であった。さらに、8月1日の対DeNA戦(甲子園)でも、同点で迎えた延長10回裏1死1・3塁から中前にサヨナラ安打。代打で登場した関本賢太郎が敬遠四球で出塁した直後の打席で、この日が開場90周年の節目に当たる甲子園球場に花を添えた。クライマックスシリーズファーストステージ(対広島、甲子園)では、第1戦で前田健太からソロホームランを放って決勝点を挙げた。(福留孝介 フレッシュアイペディアより)
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福留孝介から見た大島洋平
その2試合後となる6月25日の広島戦(マツダスタジアム)で、NPB/MLB通算2000本安打を達成した。第2打席にライトへの2塁打を放ち王手とすると、続く第3打席に2塁方向への内野安打を放ち達成した。7月30日の中日戦(甲子園)で、中日に所属していた2003年6月8日の広島戦(ナゴヤドーム)で達成して以来、13年ぶり自身2度目となるサイクル安打を達成した。これはNPBでは通算69度目の達成となる。サイクル安打を複数回達成した選手としては、藤村富美男、松永浩美、ロバート・ローズに次ぐ4人目となる。また、2016年は7月20日に大島洋平が達成しており、2004年以来となる2人以上のサイクル安打達成者が誕生した年となった。なお、このサイクル安打は39歳3か月での達成であり、1983年4月30日に達成した山本浩二の36歳6か月を更新し、最年長記録を塗り替えた。(福留孝介 フレッシュアイペディアより)
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福留孝介から見た二宮至
には、山田久志監督の下、二宮至外野コーチの進言により本格的に外野にコンバートされる。当初もやはり守備に難があったものの、辛抱強く起用され続けると、やがて練習の甲斐もあって右翼手に定着する。すると本来の俊足や強肩が生きるようになり、強肩の指標とも言われるライトゴロも記録。また、打撃面ではかつて福留の交渉権を近鉄の監督として引き当て、先述の「ヨッシャー」と歓喜の声を上げた佐々木恭介打撃コーチの下、大幅な打撃改造を行った。更に守備の上達と共に打撃も見違えるほどに成長し、3番に定着。松井秀喜(当時巨人)の三冠王を阻む首位打者のタイトルを獲得、シーズン安打数では球団記録を更新し、一気に素質開花となった。(福留孝介 フレッシュアイペディアより)
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