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    福留孝介から見たエリック・ガニエ

    3月31日の開幕戦では5番・右翼手で先発出場しメジャーデビューを果たした。この試合では複数のカブスファンが福留に対し、カブスファンの常套句である「It's gonna happen」(「何かが起こるぞ」あるいは「ついにその時が来た」)の誤訳と思われる「偶然だぞ」と書かれたサインボードを掲げる珍事が起こった(当時はGoogle翻訳で「It's gonna happen」を訳すと「偶然だぞ」になっていたが、これが話題になったためか、後に修正されている。)。初打席ではベン・シーツから二塁打を放ち、9回無死の場面ではエリック・ガニエから同点3ラン本塁打を放ち、鮮烈な印象を与えるデビューとなった。4月までは打率.327、出塁率.436、長打率.480、OPS.915の成績を残し、多くの地元紙がチーム四球数の増加を受けて「カブス打線を変えた福留」という記事を取り上げる活躍を見せた。その後はオールスターにもファン投票で選出されたが、インコースの速球に弱いと見抜かれると徐々に調子を落とし、以降は打率と出塁率が前月の数字を上回ることがなく、5月以降は打率.241、出塁率.340、長打率.355の成績に終わり、起用法も9月以降は守備要員としての出場が増えていった。チームはディビジョンシリーズに進出したものの、福留自身は第1戦と第2戦でスタメン出場して8打数無安打4三振に終わり、監督のルー・ピネラは「もう福留を使う意味がない」と公言、3戦目の移動のために利用したシカゴのオヘア空港では「フクドメ・コウスケさん、シンシナティ・レッズへ向かってください。トレードが決まりました」といたずらの館内放送を流されるなどファンからも見放され、チームもディビジョンシリーズ3連敗でシーズンを終えた。右翼手として守備は±システム1、DRS3、UZR6.0との数値を残した。福留孝介 フレッシュアイペディアより)

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    福留孝介から見た澤宮優

    『ひとを見抜く』澤宮優 著、河出書房新社、2010年(ドラフト指名した福留選手の入団交渉に向かったスカウト河西俊雄の評伝)福留孝介 フレッシュアイペディアより)

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    福留孝介から見たホワイト・ストライプス

    はナゴヤドームでの入場曲にレッド・ホット・チリ・ペッパーズの『アラウンド・ザ・ワールド』を使用した(2006年シーズンはホワイト・ストライプスの『ブルー・オーキッド』を使用していた)。開幕から不動の3番(タイロン・ウッズの欠場時には数試合4番で起用された)として活躍するが、7月中旬から右肘に見つかった遊離軟骨の状態が思わしくなく試合出場を見合わせることが多くなり、ファン選出で初めて選ばれたオールスターゲームはウッズの代走から次の打席に指名打者として打席に立った(結果は遊ゴロ)。その後も様子を見つつ症状の改善を図っていたが、8月に渡米して内視鏡による除去手術を行う事を決意。これにより、シーズン中の復帰は不可能に。続くクライマックスシリーズ、日本シリーズも出場することはできなかった(日本シリーズ出場選手40人枠には入っていた)。2007年は規定不足ながら、200打席以上の選手では、リーグ内でOPSが2位、NOIが1位と非常に優秀な成績であった。福留孝介 フレッシュアイペディアより)

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    福留孝介から見た金城龍彦

    17 (2006年WBC)※岩村明憲・金城龍彦と背番号が重複したため。福留孝介 フレッシュアイペディアより)

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    福留孝介から見た西岡剛 (内野手)

    には、右翼手として公式戦開幕3戦目の巨人戦(3月30日・東京ドーム)2回裏の守備で、大竹寛が放った浅い飛球を追って二塁手の西岡剛と激突(記録は右越2点三塁打)。その勢いで宙を舞った西岡は、後頭部からグラウンドに落下したため、大事を取って救急車で病院に搬送された(搬送先の病院での診断は鼻骨の骨折・胸部の打撲・軽度の左肩鎖関節の脱臼)。福留もしばらく昏倒していたが、西岡の搬送後から守備に復帰。4回表の第2打席(失策による出塁)で代走を送られるまで出場を続けた後に、病院での診察で胸部打撲との診断を受けた。4月29日の広島戦(甲子園)でブライアン・バリントンから決勝のソロ本塁打を放ってNPB一軍通算200本塁打を記録したが、以降の公式戦では1ヶ月以上長打が出なかった。また、開幕直後から打率が1割台にとどまったことに加えて、緒方凌介の台頭などの影響で次第に出場機会が減少。6月10日から同月26日までは、阪神への入団後初めて、不調を理由に出場選手登録を抹消されていた。一軍復帰後は、コンパクトなスイングへの改造によって打撃が復調したことから、再び右翼のレギュラーを確保。7月10日の中日戦(ナゴヤドーム)では自身10年振りの犠打を成功させるなど、攻守にわたってチームプレーをたびたび披露している。同月22日の巨人戦(甲子園)では、引き分け寸前の延長12回裏2死無走者で迎えた打席で、スコット・マシソンからライトポール直撃のサヨナラ本塁打を放った。福留はこの本塁打で、NPBの一軍公式戦における延長12回以降のサヨナラ本塁打の通算最多記録(3本)を樹立。巨人戦における延長12回以降のサヨナラ本塁打は、阪神球団史上初の快挙であった。さらに、8月1日の対DeNA戦(甲子園)でも、同点で迎えた延長10回裏1死1・3塁から中前にサヨナラ安打。代打で登場した関本賢太郎が敬遠四球で出塁した直後の打席で、この日が開場90周年の節目に当たる甲子園球場に花を添えた。クライマックスシリーズファーストステージ(対広島、甲子園)では、第1戦で前田健太からソロホームランを放って決勝点を挙げた。福留孝介 フレッシュアイペディアより)

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    福留孝介から見た八木智哉

    250本塁打:2015年3月29日、対中日ドラゴンズ3回戦(京セラドーム大阪)、4回裏に八木智哉から右越2ラン福留孝介 フレッシュアイペディアより)

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    福留孝介から見た砂田毅樹

    250本塁打:2017年8月12日、対横浜DeNAベイスターズ16回戦(横浜スタジアム)、10回表に砂田毅樹から左越ソロ ※史上61人目福留孝介 フレッシュアイペディアより)

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    福留孝介から見た緒方凌介

    には、右翼手として公式戦開幕3戦目の巨人戦(3月30日・東京ドーム)2回裏の守備で、大竹寛が放った浅い飛球を追って二塁手の西岡剛と激突(記録は右越2点三塁打)。その勢いで宙を舞った西岡は、後頭部からグラウンドに落下したため、大事を取って救急車で病院に搬送された(搬送先の病院での診断は鼻骨の骨折・胸部の打撲・軽度の左肩鎖関節の脱臼)。福留もしばらく昏倒していたが、西岡の搬送後から守備に復帰。4回表の第2打席(失策による出塁)で代走を送られるまで出場を続けた後に、病院での診察で胸部打撲との診断を受けた。4月29日の広島戦(甲子園)でブライアン・バリントンから決勝のソロ本塁打を放ってNPB一軍通算200本塁打を記録したが、以降の公式戦では1ヶ月以上長打が出なかった。また、開幕直後から打率が1割台にとどまったことに加えて、緒方凌介の台頭などの影響で次第に出場機会が減少。6月10日から同月26日までは、阪神への入団後初めて、不調を理由に出場選手登録を抹消されていた。一軍復帰後は、コンパクトなスイングへの改造によって打撃が復調したことから、再び右翼のレギュラーを確保。7月10日の中日戦(ナゴヤドーム)では自身10年振りの犠打を成功させるなど、攻守にわたってチームプレーをたびたび披露している。同月22日の巨人戦(甲子園)では、引き分け寸前の延長12回裏2死無走者で迎えた打席で、スコット・マシソンからライトポール直撃のサヨナラ本塁打を放った。福留はこの本塁打で、NPBの一軍公式戦における延長12回以降のサヨナラ本塁打の通算最多記録(3本)を樹立。巨人戦における延長12回以降のサヨナラ本塁打は、阪神球団史上初の快挙であった。さらに、8月1日の対DeNA戦(甲子園)でも、同点で迎えた延長10回裏1死1・3塁から中前にサヨナラ安打。代打で登場した関本賢太郎が敬遠四球で出塁した直後の打席で、この日が開場90周年の節目に当たる甲子園球場に花を添えた。クライマックスシリーズファーストステージ(対広島、甲子園)では、第1戦で前田健太からソロホームランを放って決勝点を挙げた。福留孝介 フレッシュアイペディアより)

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    福留孝介から見た藤井淳志

    はWBC代表に選出され、スタメン3番として起用されたが、予選リーグでの中国戦の本塁打以外はなかなか結果が出なかった。しかしスタメンから外された準決勝の対韓国戦において、7回に代打で出場し、金炳賢(キム・ビョンヒョン)から先制2点本塁打を放ち、日本の決勝進出に大きく貢献。それまで日本は韓国相手に2敗しており3連敗はできない状況だったためか、この本塁打はマスコミにも大きく取り上げられた。決勝戦でも代打で2点適時打を放つなど、持ち前の勝負強さを発揮した。シーズンに入ってからは開幕は5番で起用されるものの、前を打つ2番藤井淳志、3番井端弘和の不調もあり、3番に昇格する。同年6月14日、インボイスSEIBUドームにおける西武戦で、クリストファー・ギッセルから左中間に二塁打を放ち、通算1000本安打を達成。6月末に太ももを痛め14試合を欠場するものの、復帰後は首位打者争いを独走。同年10月10日、マジックナンバーを1として迎えた対巨人戦で、12回表に決勝点となる勝ち越しタイムリーを放ち優勝を決めると共に、シーズン打率.351・長打率.659・本塁打30本(最終的には31本塁打)・100打点(最終的には自己最多となる104打点)・100得点を達成。この内、3割・30本・100打点・100得点は中日の選手としての西沢道夫以来56年ぶりの達成であった。10月は打率.275、OPS.831とやや調子を落としたが、3月から9月まで月間打率3割、同OPS10割を切ることのない安定した打撃をシーズンを通して続け、以来4年ぶりの首位打者と2年連続の最高出塁率を獲得(4番を担ったウッズも同年47本塁打・144打点と、本塁打のでにくいナゴヤドーム移転により不滅の記録となったかと思われていた西沢の年間球団記録、46本塁打・135打点をともに塗り替えた上で本塁打王・打点王の二冠王に輝き、打撃三部門タイトルは中日所属のこの2人により独占された)。二塁打もセ・リーグのシーズン記録を塗り替える47本を記録した。しかし、日本シリーズではまたしても活躍できず、チームは日本一を逃した。11月14日にはセ・リーグのシーズンMVPを受賞した。ポジションも開幕はライト、その後は元々予定されていたセンターへコンバートされたが、シーズン終盤からはライトに固定となった。オフには12月2日の『スーパーサタデー』に出演した際、司会の峰竜太から「メジャーに興味はありますか?」と聞かれ、「興味がないと言ったら嘘になるので、あります。WBCに出場してメジャーへの憧れがより一層強くなった」と答え、この頃からFA権取得以降のメジャー移籍に含みを持たせる発言をしていた。福留孝介 フレッシュアイペディアより)

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    福留孝介から見た広池浩司

    初打点:1999年4月4日、対広島東洋カープ3回戦(ナゴヤドーム)、2回裏に広池浩司から中犠飛福留孝介 フレッシュアイペディアより)

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