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三沢光晴から見た秋山準
1992年7月にジャンボ鶴田が内臓疾患により長期休養を余儀なくされたことにより超世代軍と鶴田軍の抗争は終わりを告げ、同時に三沢は全日本プロレスの実質的なエースとなった。超世代軍の活動は1993年に川田が離脱したことで区切りを迎え(正式に解散したのは1998年)、それ以降は小橋・川田・田上明とともにプロレス四天王(後に秋山準が加わり「五強」と呼ばれた)の一人として全日本プロレスの中心を担った。三沢は1992年8月から1999年10月にかけて三冠統一ヘビー級王座を5度獲得、21度防衛。1994年3月5日には全日本プロレスの象徴的存在であったジャイアント馬場からタッグマッチでフォール勝ちし、名実ともに同団体を代表するレスラーとなった。(三沢光晴 フレッシュアイペディアより)
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SUSHI (プロレスラー)から見た秋山準
2017年1月15日、31日付での退団を発表。今後はフリーのプロレスラーとして活動しつつ、芸能活動も行う。所属ラストマッチは本人の希望で秋山準とのシングルマッチを行った。(SUSHI (プロレスラー) フレッシュアイペディアより)
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グローバル・ハードコア・クラウンから見た秋山準
秋山準が創設して管理委員長を務めていた。三沢光晴が存命時、最高顧問であった。創立当初はシングル王座であったが一時期、タッグ王座へ改定されたプロレス史上初のチャンピオンベルトである(詳しくは「志賀賢太郎とパンパーズの時代」を参照)。(グローバル・ハードコア・クラウン フレッシュアイペディアより)
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フィッシャーマンズ・スープレックスから見た秋山準
秋山準のオリジナル技。向かい合った相手の右脇に頭を潜り込ませて右手で掴んだ相手の左腕を相手の左腿の外側へと持っていって、相手の左足を内側から抱えた左手で相手の左腕を掴み直して自由になった右腕を前屈みになった相手の首の後ろに回し、相手の体を垂直になるまで持ち上げて背中から倒れ込み、上下逆さまの状態で落下させた相手の体を叩きつける。(フィッシャーマンズ・スープレックス フレッシュアイペディアより)