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    秋山準から見たアマチュアレスリング

    中学時代は水泳部に所属。高校に進学してからも水泳を続けようと思っていたが高石高校は水泳が盛んではなかったため、レスリングを高校進学後から始めた。高校に進学したら柔道を行うつもりであったが、当時中学生だった友達3人と高石高校の柔道部の見学に行ったところ、なぜか顧問を務めていた白石俊次が柔道部ではなくレスリング部の説明をしていた。入学後も最初は柔道部に入っていたが、徐々にレスリングの練習をやるようになり、最終的にレスリング一本に絞った。これについては本人は後に「たぶんレスリング部の部員が少なかったから、オレらを入れたかったんだろうね。特に重量級がいなくて、オレはでかかったからね」と話している。週休2日で放課後練習のみの柔道部と異なり、始業前、昼休み、放課後まで練習があり、休みは年3、4日しかないレスリング部で鍛えられた。フリースタイル81kg級でインターハイや国体に出場するなど、素質とセンスの高さを見せた。白石はまた、自身がプロレスラーになりたかったことから秋山に対してことあるごとにプロレス入りを勧めるなどしていた。専修大学レスリング部時代(3年上の先輩に中西学がいる、柔道部の高阪剛は同級生で友人)は1年時に全日本学生選手権で準優勝を果たす他、4年時にはレスリング部の主将も務めた。2年時には本田多聞、3年時には中西に敗北するなど、後のプロレスにつながる物語ができていた。1年生の時、合宿所で同じ部屋であった4年生の中西学ともう1人の先輩はまったく偉そうにしていなかったため、秋山にとっては非常に気が楽であった。秋山は後のインタビューで「オレの部屋は中西先輩がすごく優しく気を使ってくれて、部屋にいやすくしてくれたからよかった。そんなに苦しさは感じなかったよね。中西先輩には世話になったよ。練習でもスパーリングパートナーだったし、オレはいまでも中西先輩に対して一切悪い気持ちはないからね。大学生活で1年生の頃が一番楽しかったっていえるぐらい」と語っている。大学4年生になってもプロレス入りするという発想はなく、大阪にある会社から内定が出たためそこでチームを作って社会人でもレスリングを続けようかと思っていた。秋山準 フレッシュアイペディアより)

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    秋山準から見た全日本プロレス

    秋山 準(あきやま じゅん、1969年10月9日 - )は、日本のプロレスラー、実業家。本名:秋山 潤(あきやま じゅん)。大阪府和泉市出身。全日本プロレス所属。本名の秋山潤の名義で全日本プロレス運営会社「オールジャパン・プロレスリング株式会社」及び有限会社アキヤマ・インターナショナル・コミュニケーションの代表取締役社長を務める。秋山準 フレッシュアイペディアより)

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    秋山準から見た鈴木鼓太郎

    2013年1月に行われた決起集会で、小橋からバーニングを託され、潮崎豪、金丸義信、鈴木鼓太郎、青木篤志らを率いて再結成した。秋山準 フレッシュアイペディアより)

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    秋山準から見た馳浩

    バスの中で吊革にもたれかかり疲れてうなだれるサラリーマンの姿を見て自分はああなれないと悟り、プロレスラーとして生きることを決意した。全日本プロレス入団へのきっかけとなったのはジャイアント馬場自らのスカウトによる。大学4年生時の7月のある日突然、当時専修大のレスリング部ヘッドコーチを務めていた松浪健四郎に「スーツを着て赤坂のキャピトル東急ホテルに来い」とだけ言われたとのことで、ホテルに馬場夫妻がいる事やスカウトの話である事はまったく知らなかったという。秋山自身がジャンボ鶴田のファンだったこと、あまり裕福でなかったにもかかわらず自信を大学に進学させてくれた親に金銭的な面で楽をさせたいという思いもあり、馬場本人からのスカウトに感動して全日本プロレスへ入団した。秋山が全日本プロレスへ入団することを知った専大OBの長州力は「何で秋山スカウトしなかったんだ?」と、同じく専大OBで当時新日本プロレスのスカウトも兼務していた馳浩に尋ね、「すいません、就職すると鈴木監督に聞いてました」と答えた所、「それはまともだ。口説き落とした馬場さんが凄い」と語っていた。秋山準 フレッシュアイペディアより)

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    秋山準から見たモハメド・ヨネ

    バリエーションとして断崖式・雪崩式が存在するが、危険すぎるため一時期封印していた(雪崩式を食らった三沢は首に重傷を負った)。また断崖式が出されたのは2004年東京ドームにおける小橋戦、2007年武道館でのモハメド・ヨネ戦の2回。ただし小橋にはコーナートップからの断崖式という危険なシチュエーションで繰り出している。秋山準 フレッシュアイペディアより)

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    秋山準から見た志賀賢太郎

    一方、2006年1月8日、田上明とのGHCヘビー級選手権試合の前哨戦では、開始早々のエクスプロイダー・ジャンピングニーからのエビ固めで、田上から0分12秒でフォール勝した。なお、この試合は特別再試合となり、秋山が勝った試合を通常通りの第8試合、志賀賢太郎が勝った再試合を追加試合の第9試合とされた。秋山準 フレッシュアイペディアより)

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    秋山準から見た聖鬼軍

    鳴り物入りで入団した秋山も、新弟子時代は厳しすぎる練習の日々と先輩からの嫉妬の目で心身とも参っていた。その時「何かあったら俺が相談に乗るよ」と言ってくれたのが他ならぬ小橋建太である。「人生で一番つらい時期」を助けてくれた小橋との歴史はここから始まる。小橋相手のデビュー戦は「何も出来なかった」と後に述懐しており、完全に小橋に引っ張ってもらった試合であったと語る。数年後、その小橋と「BURNING」を結成し、三沢・小川組の「アンタッチャブル」、川田・田上組の「聖鬼軍」、そして高山・大森組の「ノーフィアー」と激戦を繰り広げ、世界タッグ王者のベルトも巻いた。秋山準 フレッシュアイペディアより)

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    秋山準から見た青木篤志

    2013年1月に行われた決起集会で、小橋からバーニングを託され、潮崎豪、金丸義信、鈴木鼓太郎、青木篤志らを率いて再結成した。秋山準 フレッシュアイペディアより)

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    秋山準から見た飯塚高史

    新日本プロレスの飯塚高史のブリザード・スープレックスとはロックの仕方が左右逆。雑誌のインタビューでは、左手を相手太腿のどこへ添えるかで角度を調整していると話している。秋山準 フレッシュアイペディアより)

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    秋山準から見た力道山

    大森は同い年(誕生日も一週間違い)でデビューも一ヶ月違いと、唯一の同期と呼べる存在である。大森とのコンビで、アジアタッグ王座12回連続防衛(力道山&豊登組に並ぶ歴代2位タイ)の記録を残すが、早くからトップグループに入った秋山に対し、大森はなかなか芽が出なかった。その後、大森は高山善廣とのタッグ「ノーフィアー」でブレイクし、シングルでも2000年のチャンピオン・カーニバルにてわずか7秒で秋山を下す(後述)。しかし、2003年に大森がノアを飛び出す形で退団。秋山は直後の試合でアックスボンバーを出すと、「くされアックスボンバー!」と絶叫し、怒りを露わにしていた。秋山準 フレッシュアイペディアより)

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