-
ピカレスクコートから見た秋山真一郎
2007年、1600万下クラスでの3戦目となった道頓堀ステークスで勝利しふたたびオープン馬となり、迎えた第39回ダービー卿チャレンジトロフィーでは秋山真一郎が騎乗し7番人気と低評価ながらレースを制し重賞初勝利を挙げた。しかし続く第52回京王杯スプリングカップでは2番人気に支持されるも最下位となる18着という結果に終わった。秋の初戦は富士ステークスに出走。しかし16着と大敗した。なお、香港マイルに予備登録を行っていたが回避となった。そして第24回マイルチャンピオンシップに出走したが、17番人気で17着だった。さらに続く2007ファイナルステークスでは10着に敗れた。(ピカレスクコート フレッシュアイペディアより)
-
カームから見た秋山真一郎
当初はそのまま種牡馬になる予定だったが、関係者の尽力によって奇跡的に回復し、2003年7月27日の函館競馬第4競走・3歳未勝利(芝2000メートル)でデビューを迎えた。四位洋文を鞍上に迎え、レース経験馬を相手に単勝3番人気と支持を集めたが、結果はのちにダイヤモンドステークスを勝つこととなるウイングランツから大きく離された、16頭立ての13着であった。2戦目も3番人気に推されたが、15頭立ての9着。3戦目は騎手が秋山真一郎に乗り替わったが、ここも12着とよいところなく3連敗を喫した。結局中央競馬の3戦では1勝も挙げることができず、売却されることになった。(カーム フレッシュアイペディアより)
-
ベッラレイアから見た秋山真一郎
2007年1月21日、京都競馬場の新馬戦で、秋山真一郎を鞍上に上がり3ハロン33秒8の末脚で快勝。その後、桜花賞を見据えクイーンカップに出走登録を行うも、抽選となり、除外となった。さらに翌週のアーリントンカップでも除外となり、代わりに出走したすみれステークスではアルナスラインの3着に終わり賞金を加算できなかった。桜花賞出走を諦めきれない陣営は、桜花賞への最終ステップ競走であるフラワーカップに出走登録を行うも、3度目の除外となってしまう。代わりに出走した中京競馬場のあざみ賞(500万下特別)を道中最後方から豪快に差し切り快勝する。(ベッラレイア フレッシュアイペディアより)