
仁科芳雄から見た科研製薬
1946年11月に理研の所長となり、同年文化勲章を授与された。1948年2月には理研が解散し、3月に株式会社科学研究所(現在の科研製薬)が発足すると初代の社長となった。後に学士院会員、日本学術会議第1期副会長を務める。だが、戦後になると体調を崩す事が多くなり、病院での検査の結果肝臓癌と判明した。この癌の原因については、当時は未知の部分が多かった放射線などの研究を戦前から長年行っていた事や、原爆投下直後の広島・長崎に入市し被曝した事を要因と考える説など諸説がある。そして1951年1月10日、60歳で没した。(仁科芳雄 フレッシュアイペディアより)