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京都スタジアムから見た稲盛和夫
2003年1月1日、京都新聞朝刊一面記事にて「伏見に『サンガ』スタジアム」と報道がなされた。記事において、京都市が横大路運動公園の一部を提供し、サンガ側が建設をする官民協力のパートナーシップ方式で2万人規模のスタジアムを整備すると報じられている。当時は前年8月頃からサッカースタジアム建設要望の署名活動がなされていた。また、京都サンガF.C.(当時の名称は京都パープルサンガ)が第82回天皇杯全日本サッカー選手権大会(2003年1月)にて優勝し、更に前述の署名が35万人集まったことも受けて、京都府と京都市は京都市内での建設を検討したが費用面で折り合いがつかず中止された。2004年には京セラ名誉会長の稲盛和夫氏が「来季にJ1昇格できなくともスタジアムは着工したい」と私財を提供して3万人の専用スタジアムを作る事を公言した。その後は地元経済界一体で建設費の一部65億円を提供し、京都市横大路運動公園にスタジアムを建設することが自治体と経済界の間で合意されたが、費用負担をめぐり京都市議会の同意が得られず、また稲盛も「本来行政が整備すべきもので、私が資金を出すことに誤解や反発もあるようだ」とし、私財提供を撤回した。計画は中止された。(京都スタジアム フレッシュアイペディアより)
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