
稲盛和夫から見た鹿児島市
1932年(昭和7年)、鹿児島県鹿児島市薬師町に7人兄弟の二男として生まれる。父畩市は「稲盛調進堂」という名で印刷工場を経営していた。西田尋常高等小学校(現在の鹿児島市立西田小学校)、鹿児島中学(現在の鹿児島高等学校)を卒業する。銀行就職を考えたが、周囲の勧めで鹿児島高等学校第三部(旧・県立高等女学校、現・鹿児島県立鶴丸高等学校)へ進学、その後鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校に転校し同校の第一期生として、卒業する。大阪大学医学部の受験に失敗し、当時新設大学であった鹿児島県立大学(現鹿児島大学)の工学部応用化学科で、有機化学を専攻。(稲盛和夫 フレッシュアイペディアより)