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  • 淡口憲治

    淡口憲治から見た稲葉篤紀稲葉篤紀

    からまでは巨人時代の同僚・高田繁がゼネラルマネージャーを務めていた北海道日本ハムファイターズで打撃コーチを務めた。日本ハムでは、それまで数年に1回3割台を打つ程度だった稲葉篤紀を覚醒させるなど、短中距離打者(特に左打者)の指導に実績を残した。反面、自分とタイプの異なる打者(右の長距離打者など)の指導は苦手なようで、左の長距離打者が不在だった2007年の日本ハム打線は得点と本塁打数がリーグ最少、チーム打率は同5位と低迷した。巨人コーチ時代も同様の状況で、チームが貧打に陥ったときがあった(巨人は対策として複数コーチ制を導入し解決を図った)。淡口憲治 フレッシュアイペディアより)

  • 2012年の日本シリーズ

    2012年の日本シリーズから見た稲葉篤紀稲葉篤紀

    外野手:7糸井嘉男、24陽岱鋼、41稲葉篤紀、44鵜久森淳志、51村田和哉、67紺田敏正2012年の日本シリーズ フレッシュアイペディアより)

  • 2007年の日本プロ野球

    2007年の日本プロ野球から見た稲葉篤紀稲葉篤紀

    パ・リーグは今シーズンのペナントレース全日程を終了。順位は日本ハム、ロッテ、ソフトバンク、楽天、西武、オリックスの順。楽天は球団創設3年目で初めて最下位を脱出した。一方西武は26年ぶりのBクラス転落。個人成績では、稲葉篤紀外野手(日本ハム)が首位打者と最多安打、山崎武司内野手(楽天)が本塁打王と打点王、成瀬善久投手(ロッテ)が最優秀防御率と最高勝率の2冠を達成。2007年の日本プロ野球 フレッシュアイペディアより)

  • 2009年の野球

    2009年の野球から見た稲葉篤紀稲葉篤紀

    6月29日 - プロ野球のマツダ・オールスターゲームの運営委員会は、ファン投票の最終結果を発表した。両リーグを通じての最多得票はパの外野手の稲葉篤紀(日本ハム)で49万8353票。セの最多得票は一塁手の栗原健太(広島)の44万1840票だった。また、球団別ではセの広島が5人、パは日本ハムが4人で最多。前年4人が選ばれた阪神は、8年ぶりにファン投票で一人も選ばれなかった。2009年の野球 フレッシュアイペディアより)

  • 真中満

    真中満から見た稲葉篤紀稲葉篤紀

    ヤクルトには伝統的に荒井幸雄、土橋勝征、稲葉篤紀、宮本慎也のようにリーグを代表する好打者で斬り込み役を任されることが多いものの走力にはやや欠ける選手が多いが真中はその代表的な一人である。活躍期間のほとんどが1番打者としての起用だが、内野安打が目立って少なく、次の塁を伺うことも少ない(通算盗塁数が64で憤死の数と合わせても100程度。234盗塁の飯田とは比較にさえならない)。当時2番を打っていた宮本が名手と言われる程のバント職人に成長し、2001年には1シーズン最多犠打を記録したが、これは1番・真中の足が遅かったためである。また2005年に1番を青木に譲り、他の打順で出場したが、11併殺を記録している。真中満 フレッシュアイペディアより)

  • 亀井義行

    亀井義行から見た稲葉篤紀稲葉篤紀

    打撃では無駄な動きのない安定したスイングから放つ「内角低目を事もなげに打ち返す」という巧打と2009年には25本塁打を記録した長打力を備える。本人は「二塁打や三塁打が多いのが持ち味の中距離打者」と分析し、現在は「それがホームランになるように」長さや重さの違うバットを振り込み、肩回りや下半身など「振る筋肉」の強化に励んでいるという。打撃フォームはWBCで同僚となった稲葉篤紀をモデルとしており、左利きの中長距離打者の稲葉のスイングを身につけるために、「体の左側に軸を置くことを重視する」、「後ろ側の手でバットを強くスイングする」など、「左半身を重視」することで、稲葉など長距離打者特有のスイングを身につけようと試みている。5番で起用されるようになってからは「自分はクリーンナップの一員ではなく、自分の前後にクリーンナップがある」と語っており、「つなぐバッティング」を意識しているという。左投手に弱く一軍に定着できないでいたが、2008年に対左打率.283を残してから対応し始め、以降も2010年までの通算対右打率.263に対して通算打率.257と投手の左右を苦にしなくなった。初球から積極的に打ちにいくが、選球眼に課題を残し、高めのボール球を振る確率が高い。一軍に定着した2008年から2010年にかけての通算得点圏打率.247と得点圏の場面にやや弱い。亀井義行 フレッシュアイペディアより)

  • 巽真悟

    巽真悟から見た稲葉篤紀稲葉篤紀

    はオープン戦で先発争いに敗れるも、プロ入り後殆ど経験がなかったというリリーフでの登板もこなし、開幕一軍を勝ち取った。ところがシーズン序盤、4月11日の対日本ハム戦で先発ノックアウトされたレニエル・ピントの後を受けて登板したものの、3回2/3を投げるのに打者26人で102球を費やし、被安打11、4与四球、稲葉篤紀には満塁と3ランの2本の本塁打を浴び計8失点で降板し、即座に一軍登録を抹消される。1ヶ月後の5月4日に再昇格し今度は先発で登板するが、4回を投げ5安打3四球、自らの暴投とエラーも絡み5失点で降板し負け投手となる。その後はシーズン終盤になるまでファームでの登板が続き、9月に1試合だけリリーフで一軍登板があったものの、結局この年は一軍での成績は4試合の登板で0勝1敗、防御率8.74と散々な結果に終わる。二軍ではウエスタン・リーグの規定投球回数に達したものの、こちらも5勝2敗1セーブで防御率は3.00と前年から比べると物足りない結果となる。巽真悟 フレッシュアイペディアより)

  • 豊田泰光

    豊田泰光から見た稲葉篤紀稲葉篤紀

    2006年のプレーオフ第2ステージ日本ハム対ソフトバンク第2戦、9回裏に二死一、二塁で稲葉篤紀のセンターに抜けそうな打球をセカンド仲澤忠厚が好捕したものの、ショート川?宗則への送球が逸れて二塁セーフ。その間に二塁ランナーの森本稀哲が一気に生還し日本ハムがサヨナラ勝ちし、リーグ優勝が決まった。このプレーに対して「あの場面では誰も責められない。二塁ランナーの森本がよく走った」、「川?がランナーを全く警戒しておらず、二塁塁審へのアピールの前に本塁へ送球するべきだった」との声がある中、豊田だけは自らの経験から仲澤を批判、「あの場面はバックトスで送球するべきであった」と週刊ベースボールのコラムで発言した。豊田泰光 フレッシュアイペディアより)

  • 後藤光尊

    後藤光尊から見た稲葉篤紀稲葉篤紀

    は屋外球場で新旧の応援歌が交互で演奏されるように変更された。開幕直後は不振だったが5月から徐々に復調。7月5日の対日本ハム戦で稲葉篤紀の打球を好捕した際に右肩を地面に強打し、右肩鎖関節脱臼と診断され戦線離脱し、8月10日の対ロッテ戦で復帰。復帰後は故障前以上に打ち、9月には5番に座る機会も増え月間21打点を記録した。同年は初めて規定打席に到達し、115試合に出場して14本塁打、57打点を記録し、前年まで苦手としていたサウスポーに対して打率.303を記録するなど打率、本塁打、打点はチームの日本人選手中最高の成績を収めた。また、リーグ4位の二塁打と盗塁(坂口智隆と同数)はチームトップの記録だった。同年オフ、5月にコリンズ監督が辞任して空き番号となっていた背番号1を再び着用する事を発表。後藤光尊 フレッシュアイペディアより)

  • 新庄 剛志

    新庄剛志から見た稲葉篤紀稲葉篤紀

    日本ハム時代、左翼・森本稀哲、右翼・稲葉篤紀との外野陣を2005年に10数試合、現役最終の2006年には1年を通して形成し、この3人で揃って2006年ゴールデングラブ賞を受賞した(同一チーム選手で同賞の外野手部門独占は・阪急ブレーブス以来、史上2回目)。この両翼の2人と「左(右)中間の深い当たりを捕球→体勢が悪い時は相手にトス→ボールを受け取った方が走者の次塁補殺を狙う」という連携を稀に行った。2005年の中日戦では右翼・稲葉とこの連携で失敗したこともあり、この時は右中間への安打を捕球した稲葉が後方へトスしたが、新庄は既にその地点を駆け抜けていてボールは更に後方へと転がった。この失敗についてテレビ番組『サンデーモーニング』内で張本勲と大沢啓二は「今回の右中間でのプレーの場合、中堅から向かってきた右投げの新庄にトスしても新庄も体勢の立て直し(反転)が必要で、右翼の稲葉が体勢を立て直して自分で送球したほうが速かった(逆に、左中間で中堅から向かってきた新庄がトスを受ける場合は、そのままの体勢で送球出来る)」と解説した。新庄剛志 フレッシュアイペディアより)

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