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    稲葉篤紀から見た稲田直人

    DJ OZMA 『超!』 ※親友の稲田直人が同僚時代に使用していた曲であり、同選手がトレードで退団したのを受けて2010年より使用。稲葉篤紀 フレッシュアイペディアより)

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    稲葉篤紀から見たフェルナンド・セギノール

    背番号をヤクルト時代の41に変更。この年より日本ハム一軍打撃コーチに就任した淡口憲治の指導のもと長打力の強化に取り組み、自己3番目の打率.307、打点75と自己最多の26本塁打を記録、チームのリーグ優勝と日本シリーズ制覇に貢献、プレーオフでは斉藤和巳(福岡ソフトバンクホークス)から優勝を決めるサヨナラ適時打、日本シリーズではMVPを獲得するなど勝負強さを見せつけた。日本シリーズMVPにはスポンサーから賞品として自動車が贈呈されたが、翌年から賞品が廃止されたため最後の賞品獲得者となった。この年は主に五番打者を務めたが、秋のアジアシリーズではフェルナンド・セギノールの欠場により四番を打った。打撃ではヤクルト時代以来5年振りのベストナイン、守備面でも初のゴールデングラブ賞を受賞した(ともに、以後まで4年連続)。稲葉篤紀 フレッシュアイペディアより)

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    稲葉篤紀から見た広島東洋カープ

    入団後、外野手としての練習を始める。1年目から1軍で出場し、同年6月21日の広島東洋カープ戦(広島市民球場)にて一塁手としてプロ初出場、初打席初本塁打を打ったほか、9月9日の読売ジャイアンツ(巨人)戦(東京ドーム)ではテリー・ブロスのノーヒットノーラン達成を好捕で助けている。最終的に67試合の出場にとどまったが、8本塁打を放ち、規定打席不足ながら打率.307を記録した。稲葉篤紀 フレッシュアイペディアより)

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    稲葉篤紀から見たオリックス・バファローズ

    このシーズンは満40歳という節目を迎える稲葉にとって記録ラッシュの年となった。4月28日の楽天戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)にて、出場1976試合目で史上39人目となる通算2000安打を達成。その6日後の5月4日にはヤクルトに同期入団の宮本慎也も通算2000安打を達成し、奇しくも宮本も出場1976試合目での達成であり、同年に同期入団選手が同試合数で通算2000安打を達成したのはそれぞれ史上初のことであった。5月4日のオリックス・バファローズ戦では史上58人目となる通算250本塁打、5月19日の広島戦では史上11人目となる通算400二塁打を達成。5月23日には札幌ドームにて「稲葉篤紀2000本安打メモリアルナイター」が開催され、試合前のセレモニーでは山田久志名球会理事よりブレザーが贈呈され、相手チームのDeNAからは元同僚の森本稀哲より花束が贈呈された。この日の試合、稲葉は3打数2安打1打点と活躍し、自らのメモリアルナイターを勝利で飾った。5月31日のヤクルト戦では史上44人目となる通算2000試合出場に到達。8月8日のソフトバンク戦では史上38人目となる通算1000打点、9月27日のロッテ戦では13年連続となる2桁本塁打をそれぞれ達成した。稲葉篤紀 フレッシュアイペディアより)

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    稲葉篤紀から見たテレビ朝日

    現役引退後はテレビ朝日・北海道テレビの野球解説者に就任、随時『報道ステーション』のスポーツコーナーでプロ野球解説を担当している。その傍ら、北海道日本ハムファイターズのスポーツ・コミュニティ・オフィサー(SCO)へ就任し、現役時代から引き続き背番号41を与えられている。稲葉篤紀 フレッシュアイペディアより)

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    稲葉篤紀から見た東北楽天ゴールデンイーグルス

    5月頃から臀部の痛みに悩まされるも、7月15日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で通算1500試合出場と通算1500安打を同時に達成した。北京オリンピック野球日本代表にも選ばれ、本戦では五番に座り、日本の4勝のうち2勝は稲葉が決勝打だった。9月26日の埼玉西武ライオンズ戦の初回に通算200本塁打を達成した。打率は前年を下回ったが、2年ぶりの20本塁打を記録。しかしクライマックスシリーズでは、ふくらはぎの肉離れを起こし先発出場が2試合と、ほぼ1年間怪我に悩まされる年であった。シーズン途中に自身2度目のFA権を取得したが、契約交渉ではFA権を行使せず2年契約で更改した。稲葉篤紀 フレッシュアイペディアより)

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    稲葉篤紀から見た野球日本代表

    稲葉 篤紀(いなば あつのり、1972年8月3日 - )は、愛知県北名古屋市出身の元プロ野球選手(外野手・内野手、左投左打)・コーチ・監督。現役引退した翌2015年より北海道日本ハムファイターズのスポーツ・コミュニティ・オフィサー (SCO) を務めている。2017年から侍ジャパンの監督を務める。稲葉篤紀 フレッシュアイペディアより)

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    稲葉篤紀から見た法政大学

    中京大中京高校3年夏の愛知大会決勝で、そのイチローのいた愛工大名電高校に雨天再試合の結果,5-3で敗れた。卒業後は法政大学経営学部に進んだ。法政大では1年春から試合に出ており、先発出場時は中軸を打つこともあった。しかし、3学年上に当時四番を打つ鈴木秀範一塁手がおり、また、故障を抱えていたこともあり、一塁手に定着したのは3年春(1993年)からであった。特に2年春()は左翼手としての先発起用も検討されていたが、故障のため不出場に終わった。法政大はこの1992年春のシーズンでは、最終カードである明治大学との直接対決で勝ち点を挙げた方が優勝という展開に持ち込んでおり、それだけに法政大のファンは稲葉の欠場を残念がった(結局、明治大が2勝1敗で法政大を下して完全優勝を果たした)。(3年時)の春から一塁手としてレギュラーに定着。同年の第22回日米大学野球の代表に選ばれた。4年時には四番打者として法政大を秋季リーグ戦優勝に導いた。東京六大学野球の春季リーグでのベストナイン、第23回日米大学野球の代表にも選ばれた。リーグ通算成績は86試合出場、307打数86安打、打率.280、本塁打6、打点50であった。稲葉篤紀 フレッシュアイペディアより)

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    稲葉篤紀から見た読売ジャイアンツ

    入団後、外野手としての練習を始める。1年目から1軍で出場し、同年6月21日の広島東洋カープ戦(広島市民球場)にて一塁手としてプロ初出場、初打席初本塁打を打ったほか、9月9日の読売ジャイアンツ(巨人)戦(東京ドーム)ではテリー・ブロスのノーヒットノーラン達成を好捕で助けている。最終的に67試合の出場にとどまったが、8本塁打を放ち、規定打席不足ながら打率.307を記録した。稲葉篤紀 フレッシュアイペディアより)

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    稲葉篤紀から見た埼玉西武ライオンズ

    5月頃から臀部の痛みに悩まされるも、7月15日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で通算1500試合出場と通算1500安打を同時に達成した。北京オリンピック野球日本代表にも選ばれ、本戦では五番に座り、日本の4勝のうち2勝は稲葉が決勝打だった。9月26日の埼玉西武ライオンズ戦の初回に通算200本塁打を達成した。打率は前年を下回ったが、2年ぶりの20本塁打を記録。しかしクライマックスシリーズでは、ふくらはぎの肉離れを起こし先発出場が2試合と、ほぼ1年間怪我に悩まされる年であった。シーズン途中に自身2度目のFA権を取得したが、契約交渉ではFA権を行使せず2年契約で更改した。稲葉篤紀 フレッシュアイペディアより)

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