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立命館大学から見た谷岡武雄
西園寺記念館の名称は、最後の元老にして自由主義者としても知られる西園寺公望公にちなむものである。これは学校法人立命館が、1940年(昭和15年)の「学祖敬仰決議」以来、西園寺公望を学祖として敬仰しており、西園寺公のもつ国際性が国際関係学部の基本学舎の名称にふさわしいと考えられたからである。現在の立命館大学は、1900年(明治33年)に中川小十郎らによって設立された京都法政学校が、西園寺公望が1869年(明治2年)に京都御所内の私邸に開設した私塾立命館からその名称を受け継いで発展したものである。その後立命館学園は、西園寺公望から私塾立命館の「名称と精神」を継承するものと認められるとともに、直接間接の支援を受けて今日の発展に至っており、こうしたことが西園寺記念館の命名の背景にある。西園寺記念館の竣工と命名について学校法人立命館総長・谷岡武雄は次のような言葉を銘板に刻み学生に送っている。(立命館大学 フレッシュアイペディアより)
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立命館大学から見た武石弘三郎
1階正面奥には「メモリアルホール」と呼ばれる空間があり、立命館学園の発展の歴史を伝えるパネルや映像を見ることができる。ホールには、学祖・西園寺公望の石膏像(直径約41センチ)も飾られている。これは、彫刻家・武石弘三郎が大正時代に手がけた西園寺公望の銅像をもとに複製されたものである。この銅像のオリジナルはもともと神田駿河台(東京都千代田区)の西園寺邸にあったが、関東大震災で破損してしまったものである。その後西園寺側近が破片から復元したものが静岡県清水市の清見寺で保管されていたことが判明。立命館がこれをもとに再度複製したものである。西園寺は自身の銅像・彫刻を残すことを嫌ったため、完全な立体像としては清見寺のものを除き、これ以外に残っていないとされる。なお、衣笠キャンパス西園寺記念館の1階ホールにも、杉村尚が作製した西園寺のレリーフ塑像が飾られてあるが、これはほぼ平面に近い。(立命館大学 フレッシュアイペディアより)