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柳家つば女 (6代目)から見た立川談志
小きん時代の1967年(昭和42年)に開催された『笑点』(日本テレビ)での第一回若手大喜利に出演しており、1969年(昭和44年)11月に番組司会が兄弟子7代目立川談志から前田武彦に交替した際に、レギュラーメンバーに抜擢された。1970年(昭和45年)6月までは兄弟子柳家さん吉と共演していた。大喜利でオレンジの色紋付を着用した人物は彼が最初である。以後、1972年(昭和47年)に林家こん平が復帰するまでレギュラーを務めた。なお、現在オレンジの着物を着ている林家たい平(こん平の弟子)は、武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科を卒業しており、つば女にとって大学の後輩にあたる。(柳家つば女 (6代目) フレッシュアイペディアより)
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立川談志 (3代目)から見た立川談志
三宅長兵衛という武士の息子で岩太郎といった。後に寅吉と改め町人となって摺者師になったのちに噺家の群れに入り、天保の初めごろ初代瀧川鯉かんの門で初代?立川鯉生から3代目?立川談笑、入船扇蔵、立川鱗馬、和九丸などを経て3代目談志を相続した。(立川談志 (3代目) フレッシュアイペディアより)
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