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立川談志から見た田中裕二 (お笑い芸人)
爆笑問題がデビューしたての頃、太田光の持つ才能をすぐに見抜いて高評価した談志は、太田に対し「天下、獲っちゃえよ」と応援すると同時に「(相方の)田中だけは切るなよ。こう出来た奴も、なかなかいないもんだ」と述べ、田中が太田にとって欠かせない存在であることを説いた。しばしば「太田は俺がよそで作った子供だ」とも発言した(太田の実父は、もともと、談志を嫌っており、これを聞いて、少し不安になったという逸話を太田が語っている)。(立川談志 フレッシュアイペディアより)
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立川談志から見た石原慎太郎
1975年12月26日、三木内閣の沖縄開発政務次官に就任するが、就任時の会見で議員の選挙資金について「子供の面倒を親分が見るのは当然」と発言したことが問題化。さらに、政務次官初仕事である沖縄海洋博視察では二日酔いのまま記者会見に臨み、地元沖縄メディアの記者から「あなたは公務と酒とどちらが大切なんだ」と咎められる。これに対して「酒に決まってんだろ」と返したことがさらに問題となる。さらに詰問する記者に対し、退席を命じ、会見を打ち切ろうとしたため批判を浴びた。弁明を行うはずの参議院決算委員会を寄席を理由に欠席するに至って、自民党内部からも反発が起こり辞任。在任期間は僅か36日であった。談志自身は、議員になったのは兼職をしてもいいと言われたからであり、自分は大衆との接点を持ち続けるのが信条だとして、自民党も離党した。この時、親交がある石原慎太郎から「謝罪したらどうだ」と説得されたが拒絶している。(立川談志 フレッシュアイペディアより)