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立川談志から見た立川キウイ
5月21日の『立川キウイ真打昇進記念パーティー』は演芸関係者だけではなく一般参加者の募集も行われ、事務所の「すべての予定のキャンセル」発表後も談志出席のまま告知が続けられていた。さらにキウイも問い合わせに対し「師匠からは出席の返事をいただいています。」と回答していたため、パーティへの出席の期待は高かった。しかし談志は会場に姿を見せず、「(5月2日に死亡したとされる)ビンラディンの喪に服するため」との欠席理由が発表された。続くキウイの真打披露興行(6月30日・7月19日)にも登場が告知されていたが、会場に足を運ぶことはなく、弟子の真打昇進記念パーティー・興行を欠席した唯一の例外となった。ただし、談志は5月のパーティーと7月の真打披露興行の数日後にキウイのアルバイト先であり、かつ自身の行きつけの店でもある東京・銀座のバーに足を運び、直接キウイにメッセージを送っている。(立川談志 フレッシュアイペディアより)
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立川談志から見た柳家小さん (6代目)
落語における「大名跡」の価値を評価しており、「いずれ、オレは小さんに、5代目圓楽は圓生に、志ん朝は志ん生になるべき」と『現代落語論』で書いている。そのため、本来の実力からは自身の弟弟子であった10代目柳家小三治が継ぐべきとしていた「小さん」を、先代の息子である3代目柳家三語楼が襲名したことを批判した。(立川談志 フレッシュアイペディアより)
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立川談志から見た桂小文治 (2代目)
上方落語に関しては、もともとはそれほど造詣が深くなく、東京で上方落語を演じていた2代目桂小文治の落語を聞いても何を言っているのかも分からなかったが、2代目三遊亭百生に出会い、その面白さを認識した。若手の頃に志ん朝と仕事で来阪した際、空き時間にたまたま6代目笑福亭松鶴の『らくだ』を聞いて、2人とも打ちのめされるほど感動したという。5代目桂文枝を好きな大阪の落語家の1人として挙げていて、二人で落語会も開催していた。(立川談志 フレッシュアイペディアより)