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  • 炭谷銀仁朗

    炭谷銀仁朗から見た立浪和義立浪和義

    プロ1年目の、キャンプから頭角を現し、オープン戦では2本塁打、5割近い盗塁阻止率を記録したため、谷繁元信以来17年ぶりとなる高卒新人捕手の開幕一軍、更には3月25日の対オリックス戦では谷本稔以来、51年ぶりとなる高卒ルーキー捕手の開幕戦スタメンデビュー、飯田幸夫以来40年ぶりとなるパ・リーグ高卒新人開幕スタメンまで果たした。この開幕戦で7回に中堅へ安打を放ったが、高卒新人が開幕戦で安打を放ったのは、立浪和義以来2リーグ分裂後4人目であった。翌3月26日の開幕第2戦では19歳の涌井秀章とバッテリーを組み、初勝利。これは1989年の横浜大洋ホエールズの石井忠徳・谷繁バッテリー以来17年ぶりとなる10代バッテリーでの勝利であった。同月29日の対ソフトバンク戦(北九州市民球場)では、2回表にD.J.カラスコからプロ初本塁打となる満塁本塁打を放った。高卒新人がルーキーイヤーに満塁本塁打を記録したのは清原和博以来20年ぶりで、かつ高卒新人捕手としては史上初の快挙であった。同試合の6回表には2号本塁打を放ち、松井秀喜以来となる高卒新人の1試合2本塁打も記録した。しかし、その後は打率.160と不振に陥り、リード面においても課題を指摘されたことから、5月以降細川亨に正捕手の座を奪われ、5月12日に一軍登録を抹消された。6月6日に一軍へ復帰すると同日の試合で即スタメン起用され先制点を挙げるなど活躍し、再び一軍に定着した。同日の勝利投手は10代コンビの涌井であり、以降は涌井の先発時のみスタメンという起用法が続いた。シーズン終盤には細川のケガによる離脱により再び先発マスクを被ることが多くなった。炭谷銀仁朗 フレッシュアイペディアより)

  • 片岡篤史

    片岡篤史から見た立浪和義立浪和義

    PL学園高校時代、4番打者としての甲子園で春・夏連覇を果たす。同期に立浪和義・橋本清・野村弘ら、1学年下には宮本慎也、2学年上には清原和博・桑田真澄がいた。片岡篤史 フレッシュアイペディアより)

  • 今中 慎二

    今中慎二から見た立浪和義立浪和義

    入学当初は目立った存在ではなかったが、すぐに見違えるような速球を投げるようになり、同校を訪れた田丸仁からも高評価を受けたという。1年夏の大阪府大会からベンチ入りを果たし、秋の府大会では準々決勝の対PL学園戦に登板した。この試合は0対1で敗れたものの、立浪和義や野村弘樹を擁して翌年に春夏連覇を果たす強豪をよく抑え、NPBのスカウトらから注目を集めるようになった。2年の冬にはクモ膜下出血で母を亡くし、精神的に大きく落ち込んだという。今中慎二 フレッシュアイペディアより)

  • 大島洋平

    大島洋平から見た立浪和義立浪和義

    2009年のドラフト会議で中日ドラゴンズから5位指名を受け入団。夫人とは日生時代の3月に結婚、6月に長男が誕生していたので入団会見には妻子も同席。他の入団選手達が一軍昇格を目標にする中、「小さい頃から憧れていた球団に入団できて嬉しい。開幕一軍で出場できるように頑張りたい。できるだけ早くレギュラーをとりたい。将来は立浪さんのように40歳まで野球を続けたい」とより具体的な目標を示した。家族がいる身で安定した社会人生活を捨てて厳しい競争をするプロの世界に飛び込むことについては相当悩んだという。しかし、最終的には妻に後押しされ「同じ世界で勝負したい」とプロ入りを決意した。中日の新人選手は、独身寮の昇竜館で入団会見の翌年1月から生活を始めることになるが、大島は結婚をしていて既に子供もいる為に入寮は免除された。大島洋平 フレッシュアイペディアより)

  • 渡辺宜嗣

    渡辺宜嗣から見た立浪和義立浪和義

    熱烈な中日ドラゴンズのファンとしても知られており、『ニュースステーション』では春季キャンプ時にほぼ毎年『燃えよドラゴンズ!』を熱唱し、大学の先輩でもある星野仙一とも親交があった。2009年11月23日グランドプリンスホテル新高輪で開催された「立浪和義選手に感謝する会」の司会を務めた。渡辺宜嗣 フレッシュアイペディアより)

  • 藤井淳志

    藤井淳志から見た立浪和義立浪和義

    5月に2歳年下の女性と結婚。シーズンでは中村紀洋の退団により森野将彦が三塁手に専念、それにより空いたセンターのポジションを獲得。シーズンを通してほぼスタメンで出場した。春季キャンプ中の練習試合では左右両打席でヒットを放ち、オープン戦でも左打席、右打席それぞれで本塁打を放つなど活躍。好調のまま迎えた公式戦では開幕直後の6試合で4本塁打と前3シーズンにおける自身の通算本塁打数(3本)を更新した。6月30日の対阪神戦では、3点差をひっくり返す、プロ入り初の逆転満塁本塁打を放った。4月28日の故郷豊橋での試合でスタメンで凱旋、過去の豊橋での試合では代打登場したが凡退、故郷豊橋では未だ無安打。9月6日、対横浜戦(新潟)で和田一浩と交錯して骨折し戦列離脱。結局、規定打席には8打席届かなかった。10月17日、ヤクルトとのクライマックスシリーズ第1ステージ初戦にスタメン出場し3安打と戦力として復帰した。しかしチームはクライマックスシリーズ第2ステージで敗退。恩師の立浪和義が引退し、立浪がロッカーで選手一人一人に挨拶をしたが、その中で藤井は泣いていたという。藤井淳志 フレッシュアイペディアより)

  • 大澤広樹

    大澤広樹から見た立浪和義立浪和義

    2009年9月30日の中日対巨人戦(ナゴヤドーム)の立浪和義選手が引退セレモニーが試合後に行われた試合は、実況やレポーターではなかったものの、試合前の一部場内アナウンス(中日側のバッテリー&スタメン紹介、スピードボールコンテスト、中日選手が1回表に守備につく際のポジション紹介)を担当した。大澤広樹 フレッシュアイペディアより)

  • SPORTS STADIUM

    SPORTS STADIUMから見た立浪和義立浪和義

    2006年のシーズンオフから行われている企画で、毎回ドラゴンズの選手1人をゲストに呼び、名古屋市内にある料亭などで鍋を囲みながら様々なエピソードを暴露する。『週刊ドラドラ生放送』時代からのスポンサーであるサッポロビールがスポンサーに付いている関係から、参加者はサッポロビール黒ラベルやヱビスビールなどを飲みながら企画を進める。基本的にこの企画には佐藤啓と川又米利(佐藤降板後の2009年からは尾原秀三と川又)が参加しているが、立浪和義が出演した2007年12月2日放送分では佐藤と川又は担当から外れ、より立浪との関わりが深い橋本清と片岡篤史が代わって担当した。一度新婚当時の井端弘和宅で収録したことがあり、その際には元テレビ朝日アナウンサーの明子夫人の手作り鍋を堪能した。SPORTS STADIUM フレッシュアイペディアより)

  • ヒーローインタビュー

    ヒーローインタビューから見た立浪和義立浪和義

    アウェーチームがその試合を以って優勝を達成した場合やアウェーチームに属する選手がその試合で大記録を達成した場合、原則アウェーのインタビューを流さない会場でもヒーローインタビューが場内に流されることがある。一例として、中日ドラゴンズの主力打者・立浪和義が自身のプロ1年目と開場1年目が重なる(読売ジャイアンツの本拠地)東京ドームで2000本安打達成した2003年7月5日、山本昌・大塚晶文のリレーで中日が勝利した事もあり、ドーム側の配慮で(通常ビジターチームの選手にはされない)ドーム全体に聞こえるヒーローインタビューが行われた。また千葉ロッテマリーンズでは2010年シーズンから、千葉マリンスタジアムのホームゲームで勝った場合、「勝利監督インタビュー」として西村徳文からのコメントも流される。ヒーローインタビュー フレッシュアイペディアより)

  • 第42回国民体育大会

    第42回国民体育大会から見た立浪和義立浪和義

    立浪和義(PL学園高の主将として国体出場し準々決勝敗退→中日)第42回国民体育大会 フレッシュアイペディアより)

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