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    立浪和義から見た杉浦忠

    その後、夏の甲子園では3番・遊撃手で21打数9安打、2本塁打、8打点の好成績を残し、優勝の一翼を担った。これにより、各球団スカウトの評価も「ドラフト2位指名は確実。外れ1位の可能性もある」と大幅に上がった。そんな中、当時南海ホークスの監督であった杉浦忠が早々とドラフト1位指名の方針を固め、PL学園の顧問に対し「どうしても立浪君が欲しい。ドラフト1位で指名する」と連絡を入れている。ちなみに立浪を1位と評価したのは当時南海のみであり、他球団の評価は2位もしくは3位であった。このことや南海が地元である大阪府・大阪球場を本拠地としていたこともあり、この頃から立浪は南海入りを強く望むようになっていた。実際、南海側も「来季から湯上谷、立浪のフレッシュ二遊間で売り出す」と球団を挙げて公言するなど、立浪に対して大きな期待を寄せていた。しかしその反面、当時のセントラル・リーグとパシフィック・リーグの人気格差や、読売ジャイアンツの監督であった王への憧れから「できればセ・リーグでプレーしたい」という思いも抱いていたという。立浪和義 フレッシュアイペディアより)

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    立浪和義から見た阿波野秀幸阿波野 秀幸

    同年のオールスターゲームには遊撃手部門でファン投票選出され、全セの指揮を執る王監督から3試合連続で出場機会を与えられた。西宮球場での第1戦では8回表代打で津野浩からオールスターゲーム初打席初安打、ナゴヤ球場での第2戦では2番・遊撃手で先発出場したが第1打席は先発阿波野秀幸に外野邪飛に仕留められ、第2・3打席も渡辺久信の前に凡退し3打数無安打に終わった。東京ドームでの第3戦3回表2死まで打者8人をパーフェクトに抑えていた先発西崎幸広に三振を喫した。立浪和義 フレッシュアイペディアより)

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    立浪和義から見た藤井淳志

    その後も10月4日の対阪神最終戦(甲子園)や、10月11日のヤクルトとのレギュラーシーズン最終戦(神宮)で代打出場して凡退した。4日は桧山進次郎から、11日は宮本慎也から、花束が贈呈された。レギュラーシーズンでの現役最終打席は9回表2死無走者の場面で押本健彦から二飛を打った。また、10月24日の東京ドームでのクライマックスシリーズ第4戦9回表、7番・藤井淳志の代打として出場が最終打席となり、マーク・クルーンに左飛に仕留められた。立浪和義 フレッシュアイペディアより)

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    立浪和義から見た酒井大輔

    150本塁打:2003年9月30日、対広島東洋カープ27回戦(広島市民球場)、7回表に酒井大輔から右越ソロ ※史上130人目立浪和義 フレッシュアイペディアより)

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    立浪和義から見た盛田幸妃

    開幕戦の対横浜戦で盛田幸妃から初回先頭打者本塁打を放ち、ナゴヤドーム初の公式戦で同球場第1号本塁打となる。8月22日の対阪神戦ではサイクル安打を達成。しかしシーズンを通しては不調に終わり、チームも最下位に転落。この年に作られた応援歌は成績不振のためかわずか1年で廃止されたが、にPL学園の後輩である福留孝介の応援歌として復活、歌詞変更を経て福留が退団したまで使用されたのち、応援団不在となったには非公式ながら小笠原道大に流用された。立浪和義 フレッシュアイペディアより)

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    立浪和義から見た衣笠祥雄衣笠 祥雄

    通算本塁打は171本であり、これは日本プロ野球界の通算安打数ベストテン(2014年シーズン終了時点で、張本勲、野村克也、王貞治、門田博光、衣笠祥雄、福本豊、金本知憲、立浪、長嶋茂雄、土井正博の10人。なお、メジャーリーグベースボールでプレーしたイチロー、松井秀喜、松井稼頭央の3名は含めないものとする)に入る選手の中では最少であると共に、その中で200本塁打に到達していないのは立浪のみである。また、シーズン20本塁打に到達したこともない(シーズン最多本塁打は1993年・2002年に記録した16本塁打)。このように決して長距離打者とは言えない(最後に本塁打を放った2009年4月24日の試合後にも、日刊スポーツのインタビューに対し「ボクはホームラン打者じゃない」と語っていた)が、プロ1年目から最終年まで本塁打のなかったシーズンは一度もない。立浪和義 フレッシュアイペディアより)

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    立浪和義から見たフランク・ジョーブ

    ''は前述した前年春に痛めた右肩の故障の影響で開幕を二軍で迎え、結局シーズン30試合出場にとどまる。星野の意向により一度は手術が決定し8月に渡米するが、診察したフランク・ジョーブは手術を見送り、「肩のまわりの筋肉を鍛えれば治る」とアドバイスした。この年の故障によって体調の管理に気をつけるようになったと後年語っている。終盤に一軍復帰し、その後閉幕までの19試合の間に打率3割の好成績を残し、翌は痛み止めを飲み続けながら試合に出続け、遊撃手のポジションで128試合に出場。復活を遂げ主にリードオフマンとして活躍し、同年シーズン打率.303、155安打を残す。この年の終盤、打率が3割を切るピンチに直面したがそのまま出場し続け、結果的に3割を維持したままシーズンを終えた。このことが大きな自信になったと本人は語っている。この年のオフに結婚し長女が誕生した。立浪和義 フレッシュアイペディアより)

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    立浪和義から見たアロンゾ・パウエル

    星野が監督に復帰。この年のオールスターゲームに二塁手部門でファン投票選出。この年は自己最高の.323の打率を残すが、チームメイトのアロンゾ・パウエルや辻発彦との打率争いに敗れ(リーグ3位)、首位打者獲得はならなかった。この年、自身初のベストナインに選出される。立浪和義 フレッシュアイペディアより)

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    立浪和義から見た小松辰雄

    開幕戦でも先発「2番・遊撃手」でフルイニング出場(高卒新人としては球団史上唯一)。開幕戦先発出場を果たしたセ・リーグ高卒新人は、並木輝男(阪神)・王貞治(巨人)以来29年ぶり3人目で、両リーグ合わせても飯田幸夫(近鉄)以来22年ぶり10人目。横浜大洋の開幕投手・欠端光則から6回裏の第3打席に初安打となる二塁打を放ち、高卒新人野手の開幕戦安打は1960年の矢ノ浦国満(近鉄)以来28年ぶり、史上3人目の快挙であった。その後、4番・落合博満の適時打で生還して初得点も記録した(同試合におけるドラゴンズ唯一の得点で、エース・小松辰雄が2失点で敗戦投手)。当時の応援歌は光GENJIの「ガラスの十代」の替え歌。立浪以降の高卒新人開幕スタメンはセでは皆無、パでの炭谷銀仁朗(西武)・の駿太(オリックス)・の大谷翔平(日本ハム)の3名。立浪和義 フレッシュアイペディアより)

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    立浪和義から見た西沢道夫

    現役時代は中日ドラゴンズに所属し、入団初年度から現役引退まで、中心選手として活躍し続けたことから、初代・西沢道夫、2代目・高木守道とともに、3代目「ミスタードラゴンズ」と呼ばれる。立浪和義 フレッシュアイペディアより)

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