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  • 良成親王

    良成親王から見た筑後国筑後国

    天授2年/永和2年(1376年)夏に親王は菊池賀々丸(後に武興・武朝)に奉じられて肥前国府(佐賀市)へ出陣。幕府方の今川貞世(了俊)の軍と対陣するが交戦には至らず、この間阿蘇氏に令旨を発給して危急に備えている。両軍はそのまま年を越し、天授3年/永和3年(1377年)1月国府近くの千布・蜷打で一戦を交えた(肥前蜷打の戦い)。親王を奉じる菊池軍は一族を率いて奮戦するが、結局大敗を喫して多数の戦死者を出すに終わり、征西府の退勢がいよいよ明らかとなった。戦禍を免れた親王と賀々丸は筑後を経て隈部城に退却したが、今川軍はこれを追撃して肥後に侵入、さらに8月の鎮西合戦勝利に乗じて城の攻略を画策した。天授4年/永和4年(1378年)9月親王は武興に奉じられて託麻原(熊本市東部)で再び今川軍と一戦を交える(託麻原の合戦)。菊池軍は一時苦戦して武興も負傷したが、親王自ら陣頭に立って敵陣に突撃。これに鼓舞された菊池軍の奮戦で、遂に今川軍を敗走させた。もっともこれは南朝方が勝利を収めた最後の大戦となり、征西府の威勢も長くは続かなかった。良成親王 フレッシュアイペディアより)

  • 藤原清岳

    藤原清岳から見た筑後国筑後国

    藤原 清岳(ふじわら の きよおか、生没年不詳)は、平安時代初期の貴族。名は浄岡、清岡とも記される。藤原南家、参議・藤原乙縄の子。官位は従五位下・筑後守。藤原清岳 フレッシュアイペディアより)

  • 蒲池氏

    蒲池氏から見た筑後国筑後国

    蒲池氏(かまちし)は、鎌倉時代以来の筑後国の一族。鎌倉時代は地頭職、室町時代は大身の国人領主、戦国時代は筑後十五城の旗頭の大名分で柳川城主であった。蒲池氏 フレッシュアイペディアより)

  • 田尻氏

    田尻氏から見た筑後国筑後国

    大蔵氏系田尻氏 - 大蔵氏族は筑後国三池郡の大身で筑後十五城の一つ。田尻氏 フレッシュアイペディアより)

  • 立花宗茂

    立花宗茂から見た筑後国筑後国

    立花 宗茂(たちばな むねしげ)は、戦国時代の武将で、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての大名。大友氏の一族で、重臣。陸奥棚倉藩主、筑後柳河藩の初代藩主。関ヶ原の戦いで改易後、大名として復帰した武将はいるが、旧領を回復した武将は宗茂ただ一人である。立花宗茂 フレッシュアイペディアより)

  • 橘以政

    橘以政から見た筑後国筑後国

    橘 以政(たちばな の もちまさ、生没年不詳)は、平安時代末期の官人。筑後守橘以長の子。橘以経・橘以輔・政舜の父。橘氏長者。橘以政 フレッシュアイペディアより)

  • 伝姫

    伝姫から見た筑後国筑後国

    伝姫(つてひめ、生没不詳)は、阿波徳島藩第10代藩主・蜂須賀重喜の正室。父は筑後柳河藩第5代藩主・立花貞俶。母は側室の永林院(みね)。兄弟には立花貞則、立花鑑通、立花致博、戸次通孝、山名義徳、立花通堅などがいる。伝姫 フレッシュアイペディアより)

  • 島津氏久

    島津氏久から見た筑後国筑後国

    島津 氏久(しまづ うじひさ)は、南北朝時代の武将、守護大名である。島津氏6代当主(奥州家初代当主)、大隅・日向・筑後守護。5代当主島津貞久の4男。母は大友親時の娘。川上頼久、宗久、師久の弟。元久、久豊の父。島津氏久 フレッシュアイペディアより)

  • 高向家主

    高向家主から見た筑後国筑後国

    高向 家主(たかむこ の やかぬし、生没年不詳)は奈良時代の貴族。姓は朝臣。山城守・高向色夫智の子。官位は従五位上・筑後守。高向家主 フレッシュアイペディアより)

  • 立花種次

    立花種次から見た筑後国筑後国

    立花 種次(たちばな たねつぐ)は、江戸時代初期の旗本、大名。筑後三池藩の初代藩主。立花種次 フレッシュアイペディアより)

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