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博多湾鉄道汽船から見た筑豊
しかし創立した1900年は恐慌の年であり株金の払込は滞り、このため資本金を470万円から207万5000円に減少し営業エリアを粕屋炭田地区に絞って筑豊地区への免許は返上し、1904年に西戸崎 - 須恵間を開通させ、翌年には宇美まで延長した。他の路線の免許は1907年までに失効している。また1903年には宇美から浮羽郡吉井町に至る約40kmの路線の仮免状を取得したが、本免許にも至らずやはり失効している。その一方で酒殿と志免炭坑地区を結ぶ貨物支線の建設を進め、1915年までに酒殿から志免(糟屋郡志免町)・旅石(同須恵町)への支線を開通させた。(博多湾鉄道汽船 フレッシュアイペディアより)
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国鉄2820形蒸気機関車から見た筑豊
本形式は、九州鉄道、鉄道院時代を通じて直方に配置され、筑豊地区で石炭輸送に従事したが、1925年(大正14年)5月に全車が廃車された。民間に払下げられたもの、保存されたものはない。(国鉄2820形蒸気機関車 フレッシュアイペディアより)
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