
筑豊から見た経済圏
江戸時代以前は嘉麻郡・穂波郡(嘉麻郡と穂波郡は現在の嘉穂郡に相当)と鞍手郡が筑前国に属し、田川郡が豊前国に属しており、経済的な独立性はなかった。しかし明治時代に入り、殖産興業政策が実施される中、地域内で産出される石炭資源が注目され、財閥・資本家による炭鉱開発が推進されたため、経済圏としての独立性を持つようになった。また、工業資源としての石炭の利用価値ならびに積出港(若松港)との関係から、工業都市として発展した北九州地区と強い結びつきを持つことになる。(筑豊 フレッシュアイペディアより)