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素晴らしきドケチ家族から見た節約
毎回1組の一般家族をスタジオに招き、各自が実践している節約方法や切り詰め生活でのエピソードなどを紹介してもらっていた。レギュラーコーナーとして、ドケチな人物と浪費癖のある人物との間に起きたトラブルをゲスト出演者が裁く「ケチトラブル」のコーナー、料理人たちが予算100円の料理作りに挑戦する「一流店100円ドケチ料理」のコーナーがあった。(素晴らしきドケチ家族 フレッシュアイペディアより)
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文政小判から見た倹約
明和7年(1770年)、江戸(奥、蓮池)、大坂の御金蔵有高は計3,004,100両余であったが、天明8年暮(1789年)には817,200両余に減少。その前年から始まった倹約令(寛政の改革の緊縮財政)により、寛政10年暮(1799年)には1,079,700両余に回復、しかしその後臨時出費が続き、文化13年暮(1817年)には723,800両となった。寛政の改革の遺法を守っていた老中松平信明も文化14年(1817年)に没し、老中格水野忠成は徳川家斉のもと出目獲得により幕府蓄財の充実を図るため、文政元年(1818年)から金貨の吹替えに着手した。(文政小判 フレッシュアイペディアより)
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もったいないから見た節約
もったいない運動のさきがけとしては、1936年(昭和11年)10月23日のケルンで開かれた「無駄なくせ闘争(Kampf dem Verderb)」と呼ばれる展示会(展示会の正式名は、「15億をめぐる闘争」)の開会式においてヘルベルト・バッケの演説から始まったドイツの啓蒙運動をあげることができる。バッケの演説は聴衆に食べ物を粗末にしていないかなどと日常生活の反省を促し、日常のもったいなさ精神を強く喚起させるものであった。運動の主役は各家庭のとくに主婦であるとされ、食品の廃物リサイクルなどを推進し一定の成果を挙げた。日本では、1937年(昭和12年)から始まった国民精神総動員運動によって、物資の節約、廃品、金属等の回収・リサイクル、歓楽街のネオンのライトダウンなどの取り組みが行われている。(もったいない フレッシュアイペディアより)