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タンガ (タンザニア)から見た紅茶
タンガはケニアとの国境近くでインド洋に面し、港からの主な輸出品はサイザルアサ、コーヒー、紅茶、綿花である。重要な鉄道のターミナルになっており、タンザニア北部の都市やタンザニアの経済の中心地であるダルエスサラームと結ばれている。(タンガ (タンザニア) フレッシュアイペディアより)
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アビタンから見た紅茶
一旦土地を貸し下げされたアビタンの夫婦にとって、最初にするべきことは、カエデや松やブナの木を切り倒して、自分たちの開拓地を切り開くことだった。切り倒した木の丸太は小屋づくりのために集め、それ以外の枝は開拓地をまっさらな状態にするために燃やされた。夏に開墾をすることで、1から2アルパン(1エーカーに相当)の土地を切り開くことができただろう 。アビタンの建てた小屋は、フレンチカナディアン様式の、こぎれいな「ピエス・スール・ピエス」(piece sur piece)で。間口6メートル、奥行き8メートルほどであった。彼らの農場は、キャベツや玉ねぎや、そのほかの野菜を植えた菜園はもちろん、動物を飼ったり、家族のための煙草を栽培したりした。農場や作物、動物の世話をするのは、妻の仕事であった。子供たちは、成長するにつれて両親の農場管理を手伝った。時折「クー・ド・マン」(coup de main、奇襲)に見舞われた際には、隣近所や親戚の助けが得られた。また、収穫は家族全員で行った。懸命な農作業の結果、アビタンは自分の農場の作物で、ほとんど自給自足できるようになった。主要産物は小麦で、ほかにもライ麦やカラス麦、大麦、えんどう豆、トウモロコシなども作られ、小麦、カラスムギ、えんどう豆が主な換金作物だった。他にリンゴやイチゴもできた。アビタンは通常豚肉や野生獣の肉を食べた。リンゴ酒やミルクがよく飲まれ、裕福なアビタンの中にはコーヒーや紅茶を飲むものもいた。気候の点では厳しかったものの、開墾地は豊富にあって、処女地のため生産性も高く、18世紀には毛皮交易から農業に経済の中心が移って行った。(アビタン フレッシュアイペディアより)
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