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インフィールドフライから見た緒方孝市
このプレイ後、広島の石井琢朗三塁ベースコーチや緒方孝市監督は福家球審の許に駆け寄り、「塁審がインフィールドフライの宣告をした」とプレイと判定の確認を行った。そこへこの試合の責任審判であった丹波三塁塁審も駆け寄り自身がインフィールドフライの宣告をしたと福家に告げたため、福家は野間の得点を認め本塁に向かってセーフを宣告し、広島のサヨナラ勝ちとなった。(インフィールドフライ フレッシュアイペディアより)
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廣瀬純から見た緒方孝市
も開幕一軍入りを果たし、開幕戦では7番・右翼手で先発出場した。その後も好調を維持し続け、ついに外野のレギュラーの座を獲得。野村謙二郎監督は前年に引退した緒方孝市の後継者として使い続けヒットも順調に量産し、前半戦の段階で自己のシーズン安打記録を更新した。故障欠場していた栗原健太の代替選手として、オールスターゲームへの初出場を果たす。また栗原が欠場した際に1試合だけ4番を任された。最終的に自身初の規定打席到達を果たし、同時に初の3割と二桁本塁打を記録。多くのカテゴリーでキャリアハイを更新する自己最高のシーズンとなり、攻守にわたってチームの要となった。(廣瀬純 フレッシュアイペディアより)
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広島市民球場 (初代)から見た緒方孝市
1994年のアジア競技大会開催に合わせて1992年オフに総工費約50億円を掛けて改修を行い、1993年からスコアボードは中堅バックスクリーン上に移設され電光式となり、松下電器産業製の大型映像装置「アストロビジョン」も一体化して設置された。しかし旧来の放電管方式だったため保守部品の消耗が早く、設置から10年を経過してそれらの入れ替えもままならなくなった。例えば2004年、グレッグ・ラロッカが打撃練習した際、メンバー表の表示画面にボールが直撃、3週間以上そこの部分だけ何も表示されず、例として緒方の表示が「緒_」、または木村拓が「木村_」となっていた(“_”は空白)。2005年にLED式に改装され、ポジションの数字が大きくなり、ネーム部分は幅がやや狭くなった。表示部は1993年以来の配置を踏襲し、横スクロールで左翼側に映像装置、右翼側に得点(10回まで)と出場メンバー表示が出来るようになっている。また打者はもちろん、塁に出た走者に対しても白地の文字が黄緑色で表示されるという他球場にはない特徴も、パネル式時代の表示方式を踏襲し続けている。スコアボードの得点表示部は、電光化当初は「青地に白文字」で表示していたが、放電管の消耗が著しくなった2000年頃から「黒地に白文字」に設定を変更して点灯部を減らし、放電管の負荷を軽減させていた。LED式に改装後は以前と同様「青地に白文字」に設定を戻している。(広島市民球場 (初代) フレッシュアイペディアより)
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大竹寛から見た緒方孝市
、新たに覚えたチェンジアップを武器に4月29日の対読売ジャイアンツ戦で開幕初完封・初勝利を挙げる。この試合から5月31日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦6回途中までセ・リーグ歴代6位となる43イニング連続無失点を記録し、佐々岡真司の持つ30イニング連続無失点の球団記録を大幅に更新。5月は月間4勝0敗、防御率0.51の成績で、自身初となる月間MVPを受賞した。前半戦を6勝4敗で終えると、ファン投票、選手間投票ともに1位でオールスターに選出、地元広島で開催された第2戦で先発している。後半戦は好投するも勝ち星が伸びなかったが、10月10日のチーム最終戦(緒方孝市の引退試合)をプロ入り初の無四球完封で締め、4年ぶりに10勝に到達。防御率2.81、投球回185.2はいずれもキャリアハイとなった。(大竹寛 フレッシュアイペディアより)
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黒田博樹から見た緒方孝市
4月2日の巨人戦(マツダスタジアム)で120球を投げて4安打完封勝利を記録した。40代での完封勝利は史上8人目、41歳以上では4人目の快挙であった。7月23日の阪神戦(マツダスタジアム)では7回を投げ5安打無失点で、NPB/MLB通算200勝(NPB:121勝、MLB:79勝)を達成した。NPB・MLB通算200勝は野茂英雄に次いで2人目で、大卒での200勝達成は村山実以来46年ぶり。そして、広島生え抜きの200勝達成は1992年の北別府学以来2人目となる。6月29日のヤクルト戦(マツダスタジアム)で勝利した後の記事で、NPB/MLB通算199勝の内198勝が先発勝利(先発登板時の勝利)であることが紹介された。そのため、8月20日のヤクルト戦(マツダスタジアム)での先発勝利が野茂英雄と並ぶNPB/MLB通算201勝目であると同時に、史上初めて先発勝利のみでNPB/MLB通算200勝を達成。また、大卒投手としてもNPB通算、NPB/MLB通算問わず史上初めて先発勝利のみでの200勝を達成した。8月30日には、新井貴浩、リオオリンピック金メダリスト金藤理絵とともに広島県民栄誉賞の受賞が決定。9月10日の巨人戦(東京ドーム)でNPB/MLB通算202勝目をあげたことで野茂英雄のNPB/MLB通算201勝を抜き、NPB/MLB通算イニング数に続きNPB/MLB通算勝星数においても歴代でトップとなる。広島が優勝マジックを1として迎えた9月10日、東京ドームでの2位巨人との直接対決に先発し、6回6安打3失点で9勝目を挙げた。この試合に勝利した広島は25年ぶり7度目のリーグ優勝を決め、黒田は緒方孝市監督、新井貴浩とともに胴上げされた。10月1日のヤクルト戦(マツダスタジアム)での勝利で、ドジャース所属時の2010年から続けて7年連続2桁勝利を達成。NPBでは40代での2年連続2桁勝利という史上3人目の快挙を達成した。2リーグ制以降では工藤公康以来2人目、右腕投手としては初の快挙である。(黒田博樹 フレッシュアイペディアより)