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屋敷伸之から見た羽生善治
1988年10月1日に四段昇段してプロ入り(第3回三段リーグを14勝4敗の2位で通過)。奨励会6級から四段昇段までが3年足らずで、入会時の年齢が違うとはいえ、羽生善治、谷川浩司、村山聖より速い(しかも、彼ら3名がプロ入りした頃は三段リーグ制度がなかった)。第3回三段リーグでは1位の小倉久史と屋敷が三段リーグ1期抜けを果たしたが、第1回を除くと三段リーグ初挑戦者によるワンツーフィニッシュは2013年3月に至るまでこの時が唯一であり、三段リーグ1期抜けも両者のほかには第12回(1992年度後期)で川上猛、第24回(1998年度後期)で松尾歩、第53回(2013年度前期)で三枚堂達也、第59回(2016年度前期)で藤井聡太が達成しただけである。(屋敷伸之 フレッシュアイペディアより)
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将棋ソフト不正使用疑惑から見た羽生善治
竜王戦での対局が予定されていた渡辺竜王もまた、三浦の不正を疑った1人だった。渡辺明は10月3日のA級順位戦で三浦に敗戦後、ある観戦記者や将棋ソフトに関して精通している棋士の千田翔太との意見交換、三浦の離席回数の多さ、将棋ソフト「技巧」による検証、そして久保戦の結果を見聞した結果、三浦への「疑惑が確信に近づいた」。そこで渡辺明は、10月10日に島常務理事の自宅で谷川会長、佐藤天彦名人、羽生善治三冠、佐藤康光棋士会長、千田と協議し、久保も電話で意見を述べた。参加した棋士の中には、上記のとおり、渡辺棋士と千田棋士がそこまでいうのであれば三浦棋士が不正をしたのではないかという疑念を示す意見や、その場で初めて聞いた話でもあり疑わしいものの結論は出せないという意見の他、疑念を払拭するために三浦棋士本人から話を聞くべきではないかという意見等もあった。同時に、疑惑を否定するものもおらず、連盟としてはその事実を重く受け止めざるを得ない状況であった。島常務理事は、会合の後、三浦と電話で話し、三浦にソフト指しの疑惑がかかっていることと、翌日午後1時からの常務会に参加するように伝えた。席上で渡辺は、「不正を行った三浦九段と対局するつもりはない。常務会で判断してほしい。」と主張した。また、渡辺は『週刊文春』の取材に対し三浦を疑った根拠として、「感想戦で三浦さんが話した読み筋が、そのままソフトの読み筋だった」「ソフトとの指し手の一致率が90%だとカンニングしているとか、そういう事ではありません。僕や羽生さんの指し手(の一致率)が90%ということだってありますから。一方で、一致率が40%でも急所のところでカンニングすれば勝てる。一致率や離席のタイミングなどを見れば、プロなら(カンニングは)分かるんです。」と述べた。(将棋ソフト不正使用疑惑 フレッシュアイペディアより)
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村山聖から見た羽生善治
棋士としての闘争心は非常に激しく、ライバル棋士たちに対しては盤外でも敵意を剥き出しにすることが多かったが、羽生善治に対してだけは特別の敬意を払っていたという。当時、羽生を筆頭として10代でプロ棋士になった者らは恐るべき勢いで勝ち進み、新人類棋士、チャイルドブランドなどと呼ばれ、羽生善治、佐藤康光、森内俊之と村山の4名が、その有力なメンバーであった。この世代が後に「羽生世代」と呼ばれ、将棋界の中心メンバーとなった。また、「東の羽生、西の村山」と並び称され期待されたが、体調不良で不戦敗になったり、実力を発揮できないこともあり、実績では羽生に遅れを取った。(村山聖 フレッシュアイペディアより)