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羽生善治から見た日本放送協会
5年生のとき、奨励会への入会を志し、道場の師範代である中嶋克安指導棋士(二上の最初の弟子)に相談をしたが、中嶋は「小学生将棋名人戦で優勝をすること」という厳しい条件を突きつけた。しかし、6年生の春(1982年4月3日)、羽生は見事優勝し条件をクリアした。このとき森内は3位、NHKテレビ解説者は3日後に二十歳の誕生日を迎える谷川浩司だった。母は対局が行われたNHKのスタジオから、すぐに二上に電話を入れた。小学生将棋名人戦に出演していた大山康晴は優勝した羽生と谷川を見て将来はこの若い2人が将棋界を引っ張っていくライバルになっていくであろうと述べている。(羽生善治 フレッシュアイペディアより)
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