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朝倉貞景 (9代当主)から見た能登国
文亀3年(1503年)、一族内部で謀叛が起こるが、朝倉宗滴の尽力のもと、朝倉景豊を滅ぼす。翌年、加賀より攻め込んで来た朝倉元景を返り討ちし、家督を確実なものとした。永正3年(1506年)には越前に侵攻した加賀国・越中国・能登の一向一揆勢と戦い(九頭竜川の戦い)、これを駆逐するなどして、内政・軍事においての朝倉氏の戦国大名化、越前領国化を成し遂げた。これ以後、孫の義景の時代である永禄10年(1567年)の堀江景忠の謀反までの60余年にわたって越前国内には大きな戦乱は無く、平和を享受して全盛期を迎えた。(朝倉貞景 (9代当主) フレッシュアイペディアより)
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