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第95回天皇杯全日本サッカー選手権大会から見た興梠慎三
この試合には日本代表監督のバヒド・ハリルホジッチが異例の視察に訪れた。準決勝での負傷でMF柏木陽介を欠く浦和は試合開始早々にDF槙野智章がGK西川周作と接触し右手を負傷(試合後に20針縫う重症と判明)。一方リーグ戦レギュラーのDF岩下敬輔とMF大森晃太郎を欠くG大阪も12分にDF米倉恒貴が足の負傷でMF井手口陽介と交代を余儀なくされるなど、お互いに満身創痍の中での立ち上がりとなった。前半32分、G大阪MF倉田秋がセンターライン付近から浦和DF陣の背後に浮き球を送ると、これにG大阪FWパトリックが反応して抜け出し、右サイドを快足を飛ばしてドリブル。最後は浦和DF森脇良太を振り切って右足でゴールを決め、G大阪が先制する。しかし浦和もその4分後、MF梅崎司が上げたクロスボールを浦和FW李忠成が頭で合わせるも左ポストに嫌われるが、そのこぼれ球を浦和FW興梠慎三が決めて同点に追いつき、前半は1-1で終える。(第95回天皇杯全日本サッカー選手権大会 フレッシュアイペディアより)
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中田浩二 (サッカー選手)から見た興梠慎三
FW:8.興梠慎三、9.平瀬智行、11.長谷川祥之、13.柳沢敦、18.マルキーニョス、19.田代有三、30.鈴木隆行(中田浩二 (サッカー選手) フレッシュアイペディアより)
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田代有三から見た興梠慎三
福岡大学時代は、大学No.1FWとの評価が高く、大分トリニータ、サガン鳥栖に特別指定選手として登録(サガン鳥栖所属の赤星拓は中学、高校、大学の後輩)。2005年に鹿島アントラーズに加入。2006年から出場機会を増やし、2008年には巻誠一郎らの負傷により、東アジア選手権2008(中国・重慶)の追加メンバーで日本代表に初招集され、2月17日の北朝鮮戦で代表デビュー。鹿島では2008年J1第5節千葉戦以降25試合ゴールがなく、FW興梠慎三とのポジション争いの結果、控えに回ることが多くなり、田代をターゲットマンとする戦術はオプションの1つとなっていた。2009年には新加入のFW大迫勇也の台頭もあり、大きく出場時間を減らしていた。2010年1月6日、出場機会を求め、MF増田誓志と共にモンテディオ山形へ期限付き移籍。山形ではレギュラーとして活躍し、リーグでは自身最多の10得点を記録した。(田代有三 フレッシュアイペディアより)
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ミハイロ・ペトロヴィッチから見た興梠慎三
翌2013年シーズンは教え子の森脇良太やFW・興梠慎三等を獲得。昨年よりも下の6位に終わったものの、去年に続いて優勝争いに関わったことを買われ同年9月には来季の続投が決定した。(ミハイロ・ペトロヴィッチ フレッシュアイペディアより)
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川又堅碁から見た興梠慎三
2017年シーズンより名古屋からジュビロ磐田へ完全移籍する事が発表された。3月11日、第3節の大宮アルディージャ戦で移籍後初得点を決めた。昨シーズンまで在籍したジェイが昨季14得点に対して川又は昨季5得点しか決めておらず、名波浩監督の元にも「『点を取っていないFWを獲ってどうするんだ』という声が自分まで届いてきた」と批判的な声もあったが、「外国人FWを獲らないということは、川又に対する『お前が年間を通して出続けなければいけないんだぞ』『そういう覚悟を持って、練習から常に全力でやれよ』という無言のメッセージでもあります」、「興梠慎三、佐藤寿人、前田遼一とか、多くのストライカーが30歳あたりから改めて点を取り出している。それを考えれば、27歳はまだ若い。にもかかわらず、外国人FWを獲ってしまえば、その可能性にフタをしてしまうことになりかねない」と川又を信頼し、第24節のヴィッセル神戸戦で自身4シーズンぶりの2桁得点をマークした。最終的には、昨季のジェイと同じシーズン14得点を挙げ、シーズン終了後の12月4日にEAFF E-1フットボールチャンピオンシップ2017に挑む日本代表メンバーに2年4ヶ月ぶりに追加招集された。(川又堅碁 フレッシュアイペディアより)