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  • セイントメモリー

    セイントメモリーから見た船橋競馬場船橋競馬場

    2013年は前年勝利したウインタースプリントから始動、張田京を背に先行するも、直線伸びること無く6着。このレースに騎乗した張田京は「太いんじゃないか。」と述べている。2月は笠松競馬場で開催のオッズパークグランプリへの遠征プランが立つ。しかしフレグモーネを発症。遠征は白紙になる。またこれを機に一から馬体を作りなおすことにした。そして迎えた4月の北斗七星競走では張田京に代わり本橋孝太を背に出走。馬体は前レース比で-10キロと絞り見事勝利する。この時初騎乗の本橋は当時のことを「初めて跨った時、背中がよく、何故この馬がこのクラスで足踏みをしているのだろうと思った。」と語っている。ここから主戦騎手は本橋となる。5月は3度目の川崎遠征。好スタートからハナに立つと最後の直線は後続を突き放し快勝。2連勝とする。その後6月船橋競馬場の京成盃グランドマイラーズに出走。レースでは好スタートから単騎逃げ。最後の直線でもスピードは落ちず、8番人気の評価を覆し勝利。3連勝とし、重賞初制覇となった。7月は地元大井のサンタアニタトロフィーに出走。このレースでも逃げ、危なげなく勝利。4連勝とし、重賞2連勝。6歳馬ながら完全に本格化した。そして迎えた9月、初めての浦和競馬場遠征となる、オーバルスプリントに出走。レースでは好スタートからハナに立とうとするがエーブダッチマンにハナを奪われ2番手を追走。向正面でエーブダッチマンが失速し、先頭に立つ。そのまま4コーナーを迎えると追い上げてきたタイセイレジェンドと直線で一騎討ちになるも最後は2馬身差で勝利。5連勝、重賞は3連勝で馬、鞍上の本橋孝太、共に初めての交流重賞勝利となった。その後は金沢競馬場で開催されるJBCスプリントに遠征する。初めての長距離遠征からか+11キロでの出走。レースではエスポワールシチーの前に立ち、単騎逃げ。しかし直線で追い上げてきたJRA勢に抜かされ結果5着。初めてのJpnI競走で健闘した。この時のことを厩舎でセイントメモリーを管理する小林大樹厩務員は「内枠から思い切っていく最高のレースで頑張ってくれたが、調整では後悔が残っています。」と話す。実際にセイントメモリーは初の長距離遠征にも関わらず、寝藁まで食べてしまうほど落ち着いていたという。その結果、余裕を残して輸送したものの太めでの出走となってしまった。この年、重賞3連勝。JBCスプリントでの5着などの功績からNARグランプリ4歳以上最優秀牡馬を受賞。また2013年度から初めて創設されたTCK大賞にも選定された。セイントメモリー フレッシュアイペディアより)

  • 福永洋一

    福永洋一から見た船橋競馬場船橋競馬場

    1948年、高知県高知市に生まれる。実家はかつて土地一帯の地主であったが、太平洋戦争後にGHQが発令した農地解放政策などにより没落し、洋一出生時には困窮を極めていた。父は放蕩癖のある人物であり、1953年に母が失踪し、以降は姉により育てられた。その姉は公営・高知競馬場所属の騎手・松岡利男と結婚し、福永家と競馬界との関係が築かれた。次いで長兄・甲(はじめ)が、中学校卒業後に日本中央競馬会・京都競馬場の武平三厩舎に入門、次兄の二三雄、三男の尚武もそれぞれ公営の大井、船橋で騎手となった。ひとり残った洋一はそのまま高知で父と暮らしていたが、父は1957年に脳溢血で死去。これを受け、洋一は姉が嫁いだ松岡家に身を寄せた。福永洋一 フレッシュアイペディアより)

  • サテライト阪神

    サテライト阪神から見た船橋競馬場船橋競馬場

    なお、現在は門別・大井・川崎・船橋・園田・高知各競馬場でのナイター競走開催時、夜間の発売、払い戻しを行っている。2013年7月14日までは門別・大井・川崎・高知各競馬場でのナイター競走の夜間発売をしておらず、夕方までの前売り発売となっていて、払い戻しは次の開催日(翌日が基本)から行われていた。サテライト阪神 フレッシュアイペディアより)

  • アジュディミツオー

    アジュディミツオーから見た船橋競馬場船橋競馬場

    1年の休養を終えて、2009年3月26日のマイルグランプリで復帰。スタートから先頭に立つも、最後の直線でロイヤルボスに交わされ2着に敗れた。続く5月5日のかしわ記念でもスタートから先頭に立ったが、最後の直線で失速し8着に敗れた。その後、6月24日の帝王賞ではデビュー戦以来となる石崎隆之とのコンビで出走したが、10着と大敗した。その後、秋に向けて調整が進められていたが、8月20日の調教中に左後肢の中筋を痛め、関係者で話し合った結果現役を引退することになった。11月18日に船橋競馬場で引退式が行われ、2006年かしわ記念優勝時のゼッケン「2」を付けて内田博幸を鞍上にキャンターで馬場を1周するラストランを行った。アジュディミツオー フレッシュアイペディアより)

  • 折笠豊和

    折笠豊和から見た船橋競馬場船橋競馬場

    所属していた冨田藤男厩舎が浦和以外の他場への遠征にも積極的であったことから、大井競馬場・川崎競馬場・船橋競馬場での騎乗機会も多かった。しかし他場開催に出走する場合はある程度収得賞金のある馬でなければならないこともあり、さらに騎乗を任されるのは勝算の薄い馬がほとんどであるため、他場での成績も芳しくなかった。折笠豊和 フレッシュアイペディアより)

  • 船橋サーキット

    船橋サーキットから見た船橋競馬場船橋競馬場

    だが日本グランプリなど大レースの開催により収益を上げる方針であったものの当時の状況により誘致がままならず、また自動車メーカーなどによる貸切利用がほとんどなく、特に平日の利用が少なかったため、コースの維持費がかさんだことによる赤字拡大の問題に直面し、さらに朝日土地興業も経営が悪化していたことから、開設からわずか2年でサーキットの運営断念が決断される。この頃サーキットに隣接する船橋競馬場に併設されていた船橋オートレース場が、競馬場外への移転を迫られていたことから、朝日土地興業はオートレース関係者に移転受け入れを積極的に働きかけ、それが合意に達し船橋サーキットは1967年7月に閉鎖された。船橋サーキット フレッシュアイペディアより)

  • スルガスペイン

    スルガスペインから見た船橋競馬場船橋競馬場

    宇都宮競馬場の花塚進厩舎に入厩したスルガスペインの競走馬としての初出走は遅く、4歳の夏も終わろうかという1990年8月31日のことだった。すでに新馬戦、未出走戦はない時期であったから4歳の条件戦に出走することとなったが、2着に1馬身差、3着馬は2秒以上引き離す走りをみせて軽快に初出走初勝利を挙げる。その後は古馬と混じって下級条件戦を1ヶ月に1?2走のペースで順調に使われると、一度も敗れることがないまま翌1991年4月23日、5歳となったスルガスペインは宇都宮でのC2戦でデビュー以来10連勝を達成した。奇しくもこの同じ日、船橋競馬場ではアクチブハトリが同様にデビュー以来10連勝を決めており、下級条件馬でありながらスルガスペインはこのアクチブハトリとともに、当時『Furlong』上に設けられていたニュース短信コーナーで取り上げられている。スルガスペイン フレッシュアイペディアより)

  • 報知グランプリカップ

    報知グランプリカップから見た船橋競馬場船橋競馬場

    報知グランプリカップ(ほうちグランプリカップ)は、千葉県競馬組合が船橋競馬場で施行する地方競馬(南関東公営競馬)の重賞競走である。競走名は優勝杯を提供する報知新聞社から冠名が取られている。報知グランプリカップ フレッシュアイペディアより)

  • アドマイヤフジ

    アドマイヤフジから見た船橋競馬場船橋競馬場

    明け8歳となった2010年4月24日にJRA競走馬登録を抹消されることが発表され、28日付で登録抹消、船橋競馬の川島正行厩舎に移籍した。地方移籍緒戦となった7月2日の武蔵野オープンでは2着と好走したが、続く8月12日のブリーダーズゴールドカップでは7着、9月23日の日本テレビ盃では10着と惨敗を喫した。その後、11月3日のJBCクラシックに出走予定だったが、馬場入場後に故障を発症し競走除外となった。2011年1月24日付で地方競馬の競走馬登録を抹消された。アドマイヤフジ フレッシュアイペディアより)

  • 南関東地方競馬チャンネル

    南関東地方競馬チャンネルから見た船橋競馬場船橋競馬場

    南関東地方競馬チャンネル(みなみかんとうちほうけいばちゃんねる)とは、スカパー・ブロードキャスティングがスカパー!Ch.678で、大井、川崎、浦和、船橋の4つの競馬場で開催されている競馬(南関東公営競馬)を中継している専門チャンネルである。Ch.120でも放送していたが、標準画質からHD画質への移行にともない、同chは2014年5月31日に放送を終了した。南関東地方競馬チャンネル フレッシュアイペディアより)

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