114件中 21 - 30件表示
  • 若尾文子

    若尾文子から見た長谷川一夫

    疎開中、仙台で観た長谷川一夫の舞台に感激し、舞台終演後、楽屋へ訪問し「私も女優になりたい」と長谷川に直訴。それが縁で帰京後、大映ニューフェイスへ応募し合格した、という逸話が有名であるが、実際のところは仙台に疎開中、学校の帰りに友人と大通りを歩いていたら、仙台座という劇場の楽屋口に檻に入った小熊を見つけ、可愛いので駆け寄ると、劇場から三味線の音がして長谷川一夫と山田五十鈴が舞台から降りて楽屋口から裏に出てきた。長谷川一夫が親しげに声を掛けてくれたので、一種の子供なりのリップサービスだったのか「女優になりたいんです」と言ってしまった。すると「学校を卒業してからいらっしゃいね」と言われてその話はそこで終わった。仙台から東京に戻ったら、義兄が大映のニューフェイス募集を見て、彼女の写真を送ってしまったのだという。若尾文子 フレッシュアイペディアより)

  • 若尾文子

    若尾文子から見た芦川いづみ

    1959年(昭和34年)3月2日から6日まで開催された「ベルリン日本映画芸術の日」と3月6日から11日まで開催された「ミュンヘン日本映画見本市」に出席のため、同3月1日、池広利夫(大映営業渉外部長)、山梨稔(新東宝専務)や芦川いづみ(日活)、大川恵子(東映)、大空眞弓(新東宝)、小山明子(松竹)、司葉子(東宝)ら他の映画会社各社代表女優たちと共に大映代表女優としてドイツへ出発。若尾文子 フレッシュアイペディアより)

  • 若尾文子

    若尾文子から見た小山明子

    1959年(昭和34年)3月2日から6日まで開催された「ベルリン日本映画芸術の日」と3月6日から11日まで開催された「ミュンヘン日本映画見本市」に出席のため、同3月1日、池広利夫(大映営業渉外部長)、山梨稔(新東宝専務)や芦川いづみ(日活)、大川恵子(東映)、大空眞弓(新東宝)、小山明子(松竹)、司葉子(東宝)ら他の映画会社各社代表女優たちと共に大映代表女優としてドイツへ出発。若尾文子 フレッシュアイペディアより)

  • 若尾文子

    若尾文子から見た日本放送協会

    1971年の大映倒産以降は映画を離れ、NHK大河ドラマ『新・平家物語』(1972年)などテレビドラマを中心に活躍。また、『雪国』(川端康成原作)で舞台にも進出。特に1988年の『武田信玄』では信玄の実母及びナレーションをこなし、「今宵はここまでに致しとうござりまする」が流行語大賞を受賞するなどして再び注目される。若尾文子 フレッシュアイペディアより)

  • 若尾文子

    若尾文子から見た大映

    東京府東京市豊島区(現:東京都豊島区)に生れ育ち、第二次大戦中は仙台に疎開していた。父親は活動弁士の尾形金声こと若尾定雄。宮城県第二女子高等学校中退。帰京後、父は大塚駅前で長靴屋を開業。文子は1951年に大映の第5期ニューフェイスとして映画界入り。若尾文子 フレッシュアイペディアより)

  • 若尾文子

    若尾文子から見た常盤御前

    新・平家物語(1972年、NHK大河ドラマ) - 常盤御前若尾文子 フレッシュアイペディアより)

  • 若尾文子

    若尾文子から見た大井夫人

    武田信玄(1988年、NHK大河ドラマ) - 大井夫人 役 - ※ナレーション兼任若尾文子 フレッシュアイペディアより)

  • 若尾文子

    若尾文子から見た水野晴郎

    水野晴郎と銀幕の花々」(近代文芸社。水野による若尾を含む女優達のインタビュー集)若尾文子 フレッシュアイペディアより)

  • 若尾文子

    若尾文子から見た川島雄三

    川島雄三により、本格派女優に鍛え上げられた。若尾文子 フレッシュアイペディアより)

  • 若尾文子

    若尾文子から見た増村保造

    増村保造とは、監督第2作目の映画『青空娘』以降、『清作の妻』『妻は告白する』『赤い天使』『「女の小箱」より 夫が見た』『刺青』『卍』『妻二人』『千羽鶴』など、20作にわたってコンビを組み、多くの名作映画を残した。若尾文子 フレッシュアイペディアより)

114件中 21 - 30件表示

「若尾文子」のニューストピックワード