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川相昌弘から見た荒木雅博
には球界初の「メンタルアドバイザー」に就任。コーチの肩書では会議に出席する必要があるので、あくまで相談役というポジションに落ち着いた。チームが勝っている試合で8・9回辺りから主に立浪の守備固めとして出場することが多かったが、荒木雅博の怪我などで5月には「2番・二塁手」としてスタメン起用された。しかし、森野将彦が怪我から復帰しスタメン獲得、立浪が代打要員となり、代走・守備要員として奈良原浩をトレード獲得、7月頃に荒木が復帰したことから出場機会がなくなり、球宴直前に登録抹消。その後は一軍に帯同しながら、メンタルアドバイザーとして裏方からリーグ優勝に貢献した。中日スポーツで毎週月曜日に「明日への送りバント」という題名で寄稿もしていた。(川相昌弘 フレッシュアイペディアより)
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2004年の日本シリーズから見た荒木雅博
先発は西武がシーズン10勝ながら、プレーオフは怪我の影響で登板機会がなかった西口文也。対する中日は川上。中日は3回表にアライバコンビが活躍し、1番荒木雅博の三塁打、続く2番井端弘和の内野選択の間に1点を先制。4回表には井上の2点適時打、更に9回表に立浪の2ラン本塁打、アレックスのソロ本塁打と2者連続本塁打でリードを広げた。一方の西武打線は5回まで川上に無安打に抑えられ、6回裏の小関竜也の適時打で1点を返すが。最後は岩瀬が締め、中日が6対1で勝利し3勝2敗とした。西武は打線に元気がなく崖っぷちに追い込まれた。(2004年の日本シリーズ フレッシュアイペディアより)
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2010年の日本シリーズから見た荒木雅博
内野手:1堂上直倫、2荒木雅博、6井端弘和、25新井良太、30森野将彦、37岩崎恭平、42トニ・ブランコ、46岩崎達郎、50中田亮二(2010年の日本シリーズ フレッシュアイペディアより)
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2011年の日本シリーズから見た荒木雅博
内野手:1堂上直倫、2荒木雅博、6井端弘和、7佐伯貴弘、30森野将彦、36谷哲也、42トニ・ブランコ、46岩崎達郎、50中田亮二、55福田永将(2011年の日本シリーズ フレッシュアイペディアより)
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ベストナイン (日本プロ野球)から見た荒木雅博
シーズンで好成績を残した投手・捕手・一塁手・二塁手・三塁手・遊撃手・外野手のポジション別に記者投票によって1名(外野手はポジションに関係なく3人)選出される。記者投票であるため、1つのポジションで複数の選手が同票数での最高得票を獲得し、選出される場合がある(2004年セ・リーグの二塁手部門で荒木雅博とラロッカが選出された。二リーグ分裂後初)。(ベストナイン (日本プロ野球) フレッシュアイペディアより)
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トニ・ブランコから見た荒木雅博
はヘッドコーチの森繁和が「ブランコより飛ばす奴を連れてくる。競争させる」としてジョエル・グスマンとフェリックス・カラスコを獲得したため、春季キャンプでは右翼手の練習もした。また落合自身もグスマンとカラスコの状態次第ではブランコをレギュラーから外す可能性を示唆していた。結局グスマン、カラスコが不調だった為、規定打席不足でありながらレギュラーとして出場。なお、2011年まで中日ドラゴンズの監督だった落合博満はJ SPORTSにて、2012年には荒木雅博を二塁手に戻す予定で、井端弘和を三塁手、森野将彦を一塁手、ブランコは他球団に持ってかれてもいいよというところまで全て段取りはつけてあったと告白している。(トニ・ブランコ フレッシュアイペディアより)