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青春ラブレター 〜30th Celebration Best〜から見た菊池桃子
『青春ラブレター 〜30th Celebration Best〜』(せいしゅんラブレター サーティース・セレブレーション・ベスト)は、2014年4月30日にソニー・ミュージックレーベルズ(エピックレコードジャパンレーベル)から発売されたの菊池桃子のセルフカバー・ベストアルバム。(青春ラブレター 〜30th Celebration Best〜 フレッシュアイペディアより)
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山本ゆかりから見た菊池桃子
1984年にトーラスレコード、研音主催「九州歌謡選手権ヤングフレッシュ・グランプリ」というオーディションで優勝し、芸能界入りする。研音のアイドル歌手として、約半年後急スピードで、1984年6月21日「私 MAILUWA」でアイドル歌手としてデビューする。事務所の先輩中森明菜の妹分として新人賞レースに多数ノミネートされ大々的に売りだされる。趣味も歌を歌うことという根っからの歌好きでもあった。同期に菊池桃子、荻野目洋子、吉川晃司、岡田有希子、長山洋子、渡辺桂子などがいて新人賞でも激戦を繰り広げた。きつい目つきとはうらはらにキャラクターはマイペースで、能天気に明るい人物だった。(山本ゆかり フレッシュアイペディアより)
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プリズム (バンド)から見た菊池桃子
1984年、メンバーの脱退やレコード会社との契約完了が重なり、バンド活動が休止状態に陥る。プリズムは再び和田と渡辺の二人になってしまったが、和田が参加していたバンド、KEEPの創設者であり、公私にわたって縁深かった深町純がサポートメンバーになることを表明して再開に向けて支援。そこに和田のソロプロジェクトに参加していた松浦義和、木村万作らがやはりサポートメンバーとして参加し、1985年よりレコード制作やライブ活動を再開していく。が、1987年にレコード会社との契約完了により、翌1988年に深町が離脱(曰く「レコードを出せないのならば、それはプロではなくアマチュアだから、プロの自分がそこにいる意味がない」と2010年にライブのゲスト参加の際に、深町流のロジックを交えたMCにおいて打ち明けられる)。また、松浦もこれと前後して離脱していった(離脱後、菊池桃子のロック転向で話題となったバンド、ラ・ムーにメンバーとして参加している)。(プリズム (バンド) フレッシュアイペディアより)