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  • ナゴヤドーム

    ナゴヤドームから見た落合博満落合博満

    開場時のファウルポールは高さ13.2m(グラウンドレベルからの高さは18m)であったが、本塁打かどうかを識別しやすいように2009年8月14日からポール(内側の金網はなし)を継ぎ足し高さを36.2m(グラウンドレベルからの高さは41m)とした。屋根からワイヤーでポール最上部を固定している。これは中日の落合博満監督の発案で、セントラル・リーグが2009年8月より試験的にホームランの判定材料にビデオ記録を導入したことに異論を唱えた落合が、「ビデオって簡単に言うが、野球はアメフットと違いプレーを止めるスポーツではない。それより審判が見やすいように改善するのが先決」として、ポールを高くしたという。解説者の中日OB木俣達彦は「ブランコポール」と名付けている。ナゴヤドーム フレッシュアイペディアより)

  • 川口和久

    川口和久から見た落合博満落合博満

    3年目の春、臨時コーチで招かれた長谷川良平から、コントロールを意識したノーワインドアップ投法ではなく、入団時のワインドアップ投法に戻すように指示されたことが転機となり、同年から先発ローテーション投手として一軍に定着。この時長谷川からは、「ノーワインドアップだと上体に頼り過ぎ、肩・肘を痛める。制球難は気にせず荒れ球は味方にすればよい」と助言されたという。6月には初の月間MVPを受賞している。オールスターゲームに初出場を果たし、登板した第2戦では門田博光から三振を奪ったものの落合博満に本塁打を打たれている。ペナントレース終盤まで巨人を追うチームにあって9月3日の直接対決では188球を投げて完投勝利を挙げ、中3日の登板となった9月21日の対大洋戦でも完投勝利を挙げた。川口和久 フレッシュアイペディアより)

  • 長嶋茂雄

    長嶋茂雄から見た落合博満落合博満

    引退試合前のミーティングで長嶋はチームメイトに「思い残すことはない。みんなもいつか引退の日が来るが、それまでベストを尽くして悔いのないプレーをしてほしい」と挨拶。その後、この年史上初の2年連続三冠王を決めていた王にそっと「すまんねぇ、今日は引き立て役になってもらうよ」とささやいた。それに対して王は笑って「今日はパッと明るく、アベックホーマーで行きましょう」と答えている。この試合には長嶋ファンで知られるテリー伊藤やプロ入り前の落合博満が駆けつけ、観戦をしている。長嶋茂雄 フレッシュアイペディアより)

  • 松井秀喜

    松井秀喜から見た落合博満落合博満

    自身初の開幕4番スタートだったが、5月からは落合博満が4番に返り咲き、松井は3番に戻った。その後チームの上昇と共に成績も上昇し、夏場には7月、8月と2か月連続で月間MVPを獲得するなど、大逆転優勝に大きく貢献。初のセ・リーグMVPを受賞した。リーグ最終戦まで山崎武司、大豊泰昭と本塁打王を争っていたが、山崎に1本リードされて迎えた10月8日シーズン最終戦の中日戦では長嶋の配慮で自身初の1番打者として出場したが、すべての打席で敬遠されてタイトルを逃した。観客席の巨人ファンからは罵声が飛び交ったが、松井自身は「しょうがない。タイトルを取れなかったのは、悔しいけど、(高校時代の)五打席連続敬遠の方が悔しかった」と、比較的サバサバした様子だった。それでも、22歳での38本塁打は王貞治に並ぶ年齢別最多本塁打記録。また、同一投手からのシーズン最多本塁打のタイ記録の7本塁打を斎藤隆から放った。この年の斎藤隆との対戦成績は25打数7安打で、安打のすべてが本塁打であった。最終的に130試合に出場し、打率3割1分4厘、38本塁打、99打点の成績で、名実ともにスーパースターの仲間入りを果たした。オフには各種表彰、パーティーの出席が相次ぎ、取材も殺到。契約更改では倍増の1億6000万円で一発サインした。高卒選手ではイチローと並ぶ史上最短(当時)の入団4年目で1億円プレーヤーの仲間入りを果たした。松井秀喜 フレッシュアイペディアより)

  • 山田久志

    山田久志から見た落合博満落合博満

    4月29日の対ロッテ戦でアンダースロー投手としては皆川睦雄に次いで200勝を達成。この試合で山田は落合博満に3本塁打を喫している。3本ともシンカーを狙い打たれたもので、たとえ狙われていても自分の得意の球種であくまで挑む姿に、やはりこの年に200勝を達成した江夏豊は「これこそプロの対決」と感嘆した。のリーグ優勝時はシーズン中に膝に打球を受けて戦線離脱したために14勝にとどまったが、監督の上田利治の信頼は絶大で、21勝を挙げて防御率と二冠に輝いた今井雄太郎を差し置いてこの年の日本シリーズ第1戦の先発に起用されている。山田久志 フレッシュアイペディアより)

  • 石毛宏典

    石毛宏典から見た落合博満落合博満

    プリンスホテルを経て、1980年のドラフト会議で西武ライオンズと阪急ブレーブスから1位指名され、西武が石毛の指名を引き当て入団。指名前、父親に「お前には多少大学に金使ってるだろ。プロ行って契約金もらって、少しは恩返ししろ」とプロ入りを勧められ、「(プリンスホテルと同じ)西武グループの西武ライオンズに指名されたら行く」と答えたやりとりがあったという。、新人で開幕スタメン(遊撃手)出場を果たし、ロッテオリオンズの落合博満と首位打者争いを演じるなど1年目から活躍。長嶋茂雄以来の新人打者として規定打席に達しての打率3割を達成し、新人王を獲得。石毛宏典 フレッシュアイペディアより)

  • 北海道日本ハムファイターズ

    北海道日本ハムファイターズから見た落合博満落合博満

    、前年オフに巨人を自由契約になった落合博満をヤクルトとの競合の末獲得。しかし、落合は不調、期待ハズレの結果に終わる。去年合計48勝をあげた西崎・今関・岩本・芝草・金石・島崎が軒並み不調、合計20勝に終わる。新外国人のナイジェル・ウィルソンが本塁打王を獲得。上田が落合の指導の下、初の規定打席到達・3割を打つなど飛躍。結果はリーグ4位。二軍は移転初年度にしてファーム日本選手権を制覇。オフに長年チームのエースだった西崎を西武石井丈裕と奈良原浩との交換トレード。金石が成績不振で解雇される。北海道日本ハムファイターズ フレッシュアイペディアより)

  • 佐々木主浩

    佐々木主浩から見た落合博満落合博満

    はスプリングトレーニングでホセ・メサとクローザーの座を争い、開幕5日前の3月30日にクロ―ザーに指名される。4月5日のボストン・レッドソックス戦でメジャー初登板。この時セーフコフィールドの電光掲示板には「ようこそマリナーズ 大魔神」という日本語の電光文字と共に“DIAMAJIN”と文字が逆に表示されるハプニングもあった。しかし5月10日のテキサス・レンジャーズ戦でデビッド・セギーに(1991年に落合博満に打たれて以来となる)サヨナラ本塁打を浴び、12日のオークランド・アスレチックス戦でもマット・ステアーズにサヨナラ本塁打を浴びて中継ぎに降格。しかしその後クローザーを務めたホセ・メサも23日のボルチモア・オリオールズ戦でサヨナラ本塁打を浴びたため、再びクローザーとして起用される。6月6日のコロラド・ロッキーズ戦では村上雅則と長谷川滋利に並ぶ日本人最多タイの9セーブ目を記録し、12日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦で日本人最多の10セーブ目を挙げた。オールスターゲームに選出されることはなかったが、出場選手全員のサインがされた佐々木のユニフォームをアレックス・ロドリゲスから貰い、「一生の宝物です」とコメントした。佐々木主浩 フレッシュアイペディアより)

  • 古田 敦也

    古田敦也から見た落合博満落合博満

    入団当初、野村の古田評は「肩は一流だが、打撃は二流、リードは三流や」というものだったが、最大の武器である強肩を活かそうと、捕手としての技術をマンツーマンで教え続けた。当時ヤクルトの正捕手だった秦真司は課題の弱肩を克服できず、途中から古田がその座を奪い106試合に出場。リーグ1位の盗塁阻止率を記録し、ゴールデングラブ賞も獲得した。2年目の1991年、オールスターゲーム第1戦(東京ドーム)では相手走者の盗塁3度を全て刺し、MVPを受賞。シーズンでは落合博満との競り合いの末、打率.340で首位打者を獲得。首位打者を獲得した捕手は野村以来史上2人目、セントラル・リーグでは史上初であり、捕手による打撃3部門(打率、本塁打、打点)のいずれかのタイトル獲得は野村、田淵幸一に次ぐ史上3人目だった。古田敦也 フレッシュアイペディアより)

  • 梨田 昌孝

    梨田昌孝から見た落合博満落合博満

    2007年、契約交渉で揉めてオリックスを自由契約になったかつて近鉄時代の教え子の中村紀洋から相談を受けて、同級生で親友でもある落合博満に獲得を打診した。最初は断られるものの、最終的に中村は中日に育成選手として入団した(落合の項も参照)。この事は中日が優勝した2007年・年末にNHK-BSで放送された特番で梨田が落合とのやりとりなどエピソードを話すと、落合が笑いながら「それをばらしちゃうか、お前」と返した。梨田昌孝 フレッシュアイペディアより)

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