
高橋元種から見た薩摩国
長男の左京(後に一斎)は、初め棚倉藩立花氏、次いで陸奥二本松藩丹羽氏に仕え、子孫も代々丹羽氏に仕える。貞享元年(1684年)5月23日、82歳にて没。墓所は真言宗摩尼寳山遍照寺、法名は「萬休宗誾大居士」。次男の長吉(七郎右衛門種直)は、留守家老花田備後守行栄と土師七左衛門経次と共に薩摩島津氏に身を寄せて家臣となり、後の鹿児島高橋氏の祖となる。娘(おかね)は立花宗茂旗本の本多内蔵介に嫁して2子をなし、離別の後、立花宗茂の養女となって家臣矢島左馬介に嫁いだ。(高橋元種 フレッシュアイペディアより)