-
藤井裕久から見た第11回参議院議員通常選挙
1977年の参院選で全国区から自民党公認で立候補し当選。1983年の参院選では比例区で再選を果たすが、2期目の任期半ばの1986年に衆院選への鞍替え出馬により失職。ところが地元旧神奈川3区から自民党公認で出馬したこの1986年の衆院選では前職元職の厚い支持層を切り崩せず次点に泣く。3年半の浪人生活ののち挑んだ次の1990年の衆院選で雪辱を果たし、衆議院議員に転じる。(藤井裕久 フレッシュアイペディアより)
-
藤井裕久から見た国策捜査
小沢一郎とは新生党結党から活動を共にしてきた間柄。2009年3月4日に小沢の公設第一秘書が西松建設事件で逮捕された件で、小沢は違法性を否定した上で国策捜査だとして検察批判を行い、藤井もこの小沢の態度を「まったく正しい。説明責任を果たし、非常によかった」と評価した。その後4月5日のTV番組で小沢の代表続投に苦言を呈し、これに反発した小沢が藤井の財務相起用に難色を示すようになる。藤井は大蔵省で鳩山由紀夫代表の父鳩山威一郎の部下だった縁もあって由紀夫から要請され出馬し、当選後財務相に就任したが2010年1月に辞任。この理由について、マニフェストに沿って暫定税率廃止を訴えてきたことに対し、維持を提案した小沢との確執やそれを受け入れた鳩山への失望が辞任につながったとの見方が出ているが、藤井は就任前から高齢のため短期間で辞任する意向だったと否定している。(藤井裕久 フレッシュアイペディアより)
-
-
藤井裕久から見た日本高等学校野球連盟
東大野球部ではレギュラー捕手を務めた。元日本高等学校野球連盟会長の脇村春夫は東大野球部の同級生。同じ東京六大学、慶應義塾大学の投手で後にプロ野球の読売巨人軍入りした藤田元司から試合でヒットを打ったこともある。自自連立時代は始球式の練習をする小渕総理大臣とキャッチボールをし、捕手役を務めた。(藤井裕久 フレッシュアイペディアより)
注目ワード
キーワード一覧