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  • ドン荒川

    ドン荒川から見た藤原喜明藤原 喜明

    1989年3月に1度一線から退いた(本人曰く新日を円満退社しただけで、引退ではないとのこと)が、1990年、SWSの旗揚げに参加して現役復帰。SWS崩壊後も一人メガネスーパー社員としてSWS所属を名乗り、藤原組などに参戦する。1996年、藤原喜明とともに全日本プロレスに初参戦、6人タッグながらジャイアント馬場との対戦が実現した。1997年には全日本プロレスの25周年記念の前夜祭に、馬場&永源遙とトリオを組んで出場。2006年はビッグマウス・ラウドなどへ参戦している。ドン荒川 フレッシュアイペディアより)

  • カネック

    カネックから見た藤原喜明藤原 喜明

    1978年3月の初来日以降、日本では新日本プロレスの常連外国人選手となって活躍。藤波辰巳とは1977年の藤波のメキシコ初遠征以来の因縁があり、日本とメキシコを股にかけて抗争を展開した。1979年4月の再来日ではMSGシリーズの第2回大会に出場、予選トーナメントで藤原喜明に2勝して決勝リーグに進出した。1981年11月の来日では初代タイガーマスクとも対戦。1983年5月にはIWGP決勝リーグ戦に中南米代表として出場している。年末に開催されていたタッグリーグ戦には、1981年にスペル・マキナ、1982年にペロ・アグアヨ、1985年にドス・カラスと組んで出場した。カネック フレッシュアイペディアより)

  • ディック・マードック

    ディック・マードックから見た藤原喜明藤原 喜明

    アントニオ猪木とは好敵手でありながら友好関係もあった。1987年に新日本プロレスで勃発したNEWリーダー(長州力、藤波辰巳、前田日明、木村健吾、スーパー・ストロング・マシン)対NOWリーダー(アントニオ猪木、坂口征二、マサ斎藤、星野勘太郎、藤原喜明、武藤敬司)の対抗戦では、ゴングが鳴らんとする直前に猪木がマイクを持ち、「おーい出て来い」のGOサインで花道から現われ、星野に代わるNOWリーダーの助っ人として活躍した。ディック・マードック フレッシュアイペディアより)

  • 1・2の三四郎 2

    1・2の三四郎 2から見た藤原喜明藤原 喜明

    ベテランの現役女子プロレスラー。PPW女子プロレスのコーチ兼選手であり、道場の無いドリームチームに練習場としてPPW女子の道場を貸していた。昔から三四郎たちの実力は良く知っていたようである。後にほたるの情熱を買ってPPW女子を抜けて『ドリームチーム』に移籍。現役選手兼ほたるのコーチ教育係としてほたるを一人前のレスラーにするべく鍛え上げる。田中プロレスとのタッグマッチで、ほたるの根性を見るためあえて助けに行かない、などコーチ役としての親心も見せた。女子ながら関節技を得意としたファイトスタイルで、スタイルは抜群であるものの、顔は某男子レスラーに似ている。1・2の三四郎 2 フレッシュアイペディアより)

  • 船木誠勝

    船木誠勝から見た藤原喜明藤原 喜明

    1989年、前田日明、藤原喜明の誘いに応じヨーロッパ遠征中に第2次UWFに入団。船木誠勝 フレッシュアイペディアより)

  • 天龍源一郎

    天龍源一郎から見た藤原喜明藤原 喜明

    1997年11月より、所有者より借り受ける形で力道山ベルトを賭けた日本J1選手権争奪トーナメントを開催し、藤原喜明、北尾光覇を撃破。1998年1月14日後楽園ホールでの荒谷信孝との決勝戦に勝利し、日本J1選手権を獲得。この試合は天龍としても満足のいくものだったようで試合後のインタビューの際に、「隣(東京ドームで開かれていたマライア・キャリーのコンサート)より熱かったろ?」とのコメントを残す。天龍源一郎 フレッシュアイペディアより)

  • 筋肉番付シリーズ

    筋肉番付シリーズから見た藤原喜明藤原 喜明

    番組が甦らせた3人の金剛(パワー系金剛:藤原喜明、コントロール系金剛:江夏豊、バランス系金剛:遊佐雅美)の中から1人を指名し対決。勝利すれば賞金獲得となる。筋肉番付シリーズ フレッシュアイペディアより)

  • ジョージ高野

    ジョージ高野から見た藤原喜明藤原 喜明

    ドン荒川と藤原喜明が、「合宿所にアメリカ兵の幽霊が出る」という話を前田にし、散々怖がらせておいて、ハーフであるジョージに軍服を着せて前田の枕元に立たせたという。ジョージ高野 フレッシュアイペディアより)

  • 藤波 辰爾

    藤波辰爾から見た藤原喜明藤原 喜明

    アントニオ猪木が日本プロレスを除名された翌日の1971年12月14日、木戸修と共に日本プロレスを退団し、夜逃げ同然で日本プロレス事務所の近くの猪木後援会事務所に身を寄せる。1972年、猪木が興した新日本プロレスに旗揚げより参加。3月6日に大田区体育館で行われた旗揚げ戦では第1試合に出場するもエル・フリオッソに敗退、3月16日の浜田広秋(後のグラン浜田)のデビュー戦で初勝利を挙げる。以降、相次いでデビューした関川哲夫、荒川真、栗栖正伸、藤原喜明らを相手に勝利を重ね、若手のリーダー格となった。藤波辰爾 フレッシュアイペディアより)

  • 頭突き

    頭突きから見た藤原喜明藤原 喜明

    古くは黒人レスラーの総帥ボボ・ブラジルが使用して彼の代名詞的な技となったため、その影響でアブドーラ・ザ・ブッチャー、ルーファス・ジョーンズ、レイ・キャンディ、バッドニュース・アレン、レロイ・ブラウン、ジャンクヤード・ドッグなど多くの黒人選手がヘッドバットを得意技とするようになった。ザ・デストロイヤーなどの覆面レスラーは、覆面の中に凶器を忍ばせて放つこともあった。超大型レスラーのアンドレ・ザ・ジャイアントも使用しており、その落差から「2階からのヘッドバット」などと呼称された。日本陣営の主な使用者には大木金太郎、藤原喜明、天山広吉、本田多聞、泉田純至、富豪富豪夢路、菊地毅、新井健一郎などがいる。頭突き フレッシュアイペディアより)

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