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藤原喜明から見たWAR (プロレス)
1993年、1994年と2年連続で古巣・新日本の真夏の祭典「G1 CLIMAX」に出場。1995年には「イノキファイナルカウントダウン」第4弾で師・猪木とシングル対決した。1996年、ドン荒川とともに全日本プロレスに初参戦、6人タッグながらジャイアント馬場との対戦が実現。1997年にはWARに出場し、天龍源一郎やアブドーラ・ザ・ブッチャーとのシングルマッチが行われた。その後もメジャー、インディー問わず、数多くの団体に参戦している。(藤原喜明 フレッシュアイペディアより)
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藤原喜明から見たドラディション
2007年、胃の噴門部(入り口)に近いほうに4センチ大の胃がんが見つかった。本当は全部摘出したほうがよかったが痩せてしまうため胃の2分の1を切除した。手術は3時間で終了したが、痛み止めの存在を知らず地獄の痛みに苦しむ。その後の病理検査でリンパ節転移が見つかったことを知らされ、病期は3a期と確定した。3期の5年生存率は41.8パーセントであった。術後18日目に、抗がん剤治療が始まった。TS-1(一般名テガフール・ギメラシル・オテラシルカリウム)の単剤で4週間服用、2週間休薬を1クールとし、それを6クール行うというものだった。TS-1は胃がんの場合、奏効率は46パーセントと高く、副作用も抗がん剤の中では比較的強くないとされるが、87パーセントの患者に何らかの副作用が出るとのことだが、TS-1を予定通り、6クール続けたあと、薬が同じ5-FU系の経口抗がん剤UFT(一般名テガフール・ウラシル)の少量投与に変わり、副作用もほとんど無くなり、筋力トレーニングができるようになった。手術の後遺症としては、ダンピング症候群(食物が胃にとどまらずに、急速に腸まで落ちてしまうこと。胃の中で撹拌され、少しずつ腸に送り出されていた食物が、胃切除後は、未消化のままいちどに腸に流れ込むため、血糖値の変動や各種ホルモン分泌などによって、不快な諸症状が起こる)が出たがプロレスの試合に出られるまで回復した。現在も不定期ながらリアルジャパンプロレス、ドラディション、全日本プロレスなどのリングに上がっている。IGFにも参加し猪木に協力している。近年では新日本プロレスのレッスルキングダムにおけるニュージャパンランボーに2年連続で出場している。(藤原喜明 フレッシュアイペディアより)