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振り逃げから見た藤川球児
2007年8月2日に甲子園球場で行われた阪神タイガース対東京ヤクルトスワローズの試合、5-6で1点リードされた9回表のヤクルトの攻撃、二死三塁、2ストライク1ボールの場面。阪神の藤川球児がヤクルトの田中浩康に投じた4球目を田中はハーフスイング、球審の土山剛弘は空振りのスリーストライクを宣告した。しかし、この球がベース付近でワンバウンドする暴投だったため振り逃げの権利が発生、捕手が後逸しボールがバックネットに達する間に三塁走者の福川将和が生還、同点になったかに思われたが、進塁義務のある打者走者の田中が進塁を失念し本塁近辺に棒立ちだった。チームメイトの指摘により、一塁に向かった田中だが、時すでに遅く、ボールは捕手矢野輝弘から一塁のアンディ・シーツに転送されフォースアウト。第3アウトがフォースアウトとなったため同点のホームインは認められず、試合終了となった(もし1死ならば得点が認められ、2死無走者、同点で試合再開となるところであった)。また終了直後、阪神外野手の金本知憲と赤星憲広がグラブで口を覆いながら爆笑する姿が見られた。(振り逃げ フレッシュアイペディアより)
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堂上剛裕から見た藤川球児
、6月22日からこのシーズン2度目の一軍登録され、引退した立浪和義に代わり左の代打として起用されることが多かった。また7月21日の対横浜ベイスターズ戦で6番・右翼手でスタメン出場。弟の直倫と共に兄弟でスタメン出場を果たし、8月6日の対阪神タイガース戦には、弟の直倫と共に適時打を放ち、ナゴヤドームで兄弟初めてのお立ち台に上がった。9月22日の阪神戦では、9回裏1死満塁の場面で代打として出場。藤川球児から一塁ゴロを放ったが、クレイグ・ブラゼルの本塁悪送球を誘いサヨナラ勝利となり、試合後にお立ち台に上がった。チームとしても優勝争いを演じていたライバルを下す、大きな意味を持つ勝利だった。なお、この打席に立つ前に、落合博満監督から、「ボール(球)は振るな、内角は当たれ(死球)。」というアドバイスを貰っていた。最終的に自己最多となる58試合に出場した。(堂上剛裕 フレッシュアイペディアより)
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2011年の日本シリーズから見た藤川球児
実況:森脇淳、解説:江本孟紀・立浪和義、ゲスト解説:藤川球児(阪神タイガース)フィールド解説:金村義明・山崎武司(前・東北楽天ゴールデンイーグルス)フィールドレポーター:渡辺和洋(CX、ソフトバンクサイドのリポーター、監督・ヒーローインタビューも兼任)、リポーター:小田島卓生(中日サイド)(2011年の日本シリーズ フレッシュアイペディアより)
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井上一樹から見た藤川球児
、中日の選手会長を4歳年下の井端弘和より受け継ぐ。井上はファンサービスに熱心に取り組み、「福留孝介デー」などといった企画の実行にこぎつけた(後述)。8月15日の対広島東洋カープ13回戦で、プロ野球史上411人目となる通算1000試合出場を達成した。8月30日の対阪神15回戦(阪神甲子園球場)では劣勢の中、9回表二死から代打で登場し、藤川球児から高めの球を捕らえて値千金となる同点本塁打を放った。試合は結局引き分けに終わったが、中日はマジックを1減らし、勝ちに等しい引き分けとなり、この年のペナントレースを大きく左右する本塁打となった。シーズン全体では英智や藤井淳志らとレギュラー争いをし、規定打席には足りないものの勝負強さを発揮し、2年連続で3割と2桁本塁打を達成するなど、優勝に大きく貢献した。(井上一樹 フレッシュアイペディアより)
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2006年のオールスターゲーム (日本プロ野球)から見た藤川球児
またセ・藤川球児vsパ・小笠原道大&アレックス・カブレラの全球真っ直ぐの力勝負には多くのプロ関係者が「名勝負」と称える勝負であった。その場にいた選手もあまりの凄さに唖然としていたという。(2006年のオールスターゲーム (日本プロ野球) フレッシュアイペディアより)
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