-
藤川球児から見た広島東洋カープ
はWBC日本代表に選ばれた。背番号は、同じ「22」を着ける球界の先輩里崎智也に配慮して24を選んだ。対アメリカ戦ではアレックス・ロドリゲスのバットを直球で折った。シーズンに入ると前年同様に中継ぎでスタートしたが、6月に抑えの久保田智之が怪我で離脱したことに伴い、抑えに定着。7月4日の対横浜ベイスターズ戦で35試合連続無失点となり、豊田清が持っていた日本記録を更新。7月11日には小山正明が持つ47イニング連続無失点の球団記録を更新したが、翌7月12日の対広島東洋カープ戦で失点し、連続無失点試合数は38, 連続イニング無失点記録は47回2/3で途切れた。7月21日のオールスターゲーム第1戦では登板前に「野球漫画のような世界を創りたい」と話し、先頭打者のアレックス・カブレラへの投球前に、全球ストレートを予告し、一回もバットに当てさせず空振り三振に取り、続く小笠原道大に対しても全て直球を投じて空振り三振に打ち取った。7月23日の第2戦では、同年からオリックス・バファローズに移籍した清原と再び対決。全て直球で空振り三振に取り、清原は「参った、火の玉や」とコメントした。なお同年は中日ドラゴンズと優勝を争う状況だった阪神だが、7月30日の対ヤクルト戦で藤川に初めて延長3イニングを投じさせるほど決定打を欠いて引き分ける戦いぶりに象徴される様に、オールスター終了後の7月下旬以降なかなか勝てず、堅実に勝ち星を積み重ねる中日に8月下旬には9ゲーム差まで差を広げられた。そんな中、首の寝違えで8月12日より登録抹消されていた藤川は8月27日の対巨人戦で8回から復帰後初登板して勝利投手となりお立ち台に立つと、マスメディアからの批判やファンの野次に対して「選手も必死でやっているということを分かって下さい」と涙を流しながらコメントした。結局チームは優勝を逃したが、藤川自身は2年連続の最優秀中継ぎ投手を獲得した。(藤川球児 フレッシュアイペディアより)
-
藤川球児から見たサンフランシスコ・ジャイアンツ
、渡米前に羽田空港で「向こうで(現役の)最後までやるつもりでやってくる」と語った。開幕戦となった4月1日の対ピッツバーグ・パイレーツ戦の9回二死の場面でメジャー初登板し、2球でメジャー初セーブを挙げた。4月7日には不振のカルロス・マーモルに代わりクローザーとして起用されることが発表された。4月12日の対サンフランシスコ・ジャイアンツ戦では2点リードの場面で登板し、3安打1死球1暴投の3失点で逆転を許したものの、その裏に味方が逆転したためメジャー初勝利を挙げた。しかし、13日に右前腕部の張りで故障者リスト入り。5月10日の対ワシントン・ナショナルズ戦で復帰し、復帰後は7試合の登板で防御率1.17・WHIP 0.55と好投を続けていたが、5月26日の対シンシナティ・レッズ戦で右前腕部の張りを再発させ降板した。トミー・ジョン手術を受けることが5月29日に球団から発表され、6月11日に手術を受けてシーズンを終えた。(藤川球児 フレッシュアイペディアより)
-
藤川球児から見た東京ヤクルトスワローズ
監督が星野仙一に代わったから背番号を名前の「きゅうじ」に掛けた92に変更。先発投手として積極的に起用されて12試合に登板し、9月11日の対ヤクルトスワローズ戦で8イニングを1失点に抑えて初勝利を挙げ、フレッシュオールスターゲームのウエスタン・リーグ先発投手も務めたが、同年は前出の1勝のみで先発ローテーションに定着することはできず、までは目立った成績を残せなかった。(藤川球児 フレッシュアイペディアより)
-
藤川球児から見た高知ファイティングドッグス
実兄の藤川順一は、かつて四国アイランドリーグplus・高知ファイティングドッグスのゼネラルマネージャーを務めていた。(藤川球児 フレッシュアイペディアより)
-
藤川球児から見た千葉ロッテマリーンズ
、背番号を22へ変更。この時「佐々木さん、高津さんと同じ背番号で光栄です」と語っている。JFKの一角としてセットアッパーを務め、6月14日から7月20日にかけてプロ野球記録となる17試合連続ホールドを記録し、6月には月間MVPを受賞。オールスターゲームのファン投票では中継ぎ投手部門1位で初出場を果たした。チームがリーグ優勝を決めた9月29日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦では、当時のシーズン最多登板記録を更新する79試合目の登板をし、最終的に登板数は80試合を記録。また、同年53ホールドポイントで初タイトルとなる最優秀中継ぎ投手を獲得した。4月21日の対巨人戦7回裏二死満塁で清原和博に対してフルカウントからフォークボールで三振に打ち取ったが、試合後には清原から「フルカウント二死満塁の場面でフォークを投げるような逃げ腰のピッチングをするような臆病な投手には男性器がついていない」という趣旨の罵倒を受けた。しかし、藤川は「あの一件のおかげで、僕はストレートにこだわるようになった。自分を常に磨かないといけないと思うようになった」とこれに発奮し、6月25日に再び清原と対戦した際、今度はストレートで三振を奪った。これに清原は「完敗。僕が20年間見てきた中で、最高のストレートです」と藤川を絶賛した。千葉ロッテマリーンズとの日本シリーズでは第3戦で登板し、橋本将にタイムリー二塁打にされ降板し、チームは敗れた。翌日の第4戦も敗れ、4連敗でシリーズを終えた。(藤川球児 フレッシュアイペディアより)
-
-
藤川球児から見た里田まい with 合田兄妹
島田紳助が司会のクイズ番組『クイズ!ヘキサゴンII』で結成された里田まい with 合田家族の「Don't leave me」は藤川をイメージした曲で、藤川の許可なく作られたものであったが、この縁から2009年7月16日の阪神甲子園球場での対中日戦では、合田家族のメンバーである里田まい、神戸蘭子、misonoが始球式に登場した。(藤川球児 フレッシュアイペディアより)
注目ワード
キーワード一覧