-
山口市から見たフランシスコ・ザビエル
南北朝時代の延文5年/正平15年(1360年)に周防国を平定した大内弘世が大内氏の本拠地を吉敷郡御堀氷上(現在の山口市大内御堀)から現在の山口市中心部に移したのがルーツとされている。室町時代には大内館が築かれ、日明貿易が行われる。応仁の乱以後には乱を逃れてきた文化人を歓迎したので大内文化、「西の京」として栄え、戦国時代には大内義興、大内義隆が市街を整備し栄華を極めた。義興に庇護され後に京へ戻った室町幕府10代・12代将軍の足利義尹(義稙)、雪舟、フランシスコ・ザビエルなど、この町に縁のある人たちは多い。(山口市 フレッシュアイペディアより)
-
山口市から見たショッピングセンター
山口駅周辺に山口市中心商店街が広がり、歓楽街である湯田温泉には宿泊施設が複数立地している。山口駅周辺の商店街内には百貨店の山口井筒屋(旧ちまきや)が存在することもあり、一定の集客力を持つが、商店街でもう一つの核となっていたダイエー(現在のイオン)山口店が閉店(現在は跡地に生活協同組合コープやまぐちが出店)したほか、市内の郊外や同一商圏内の近隣都市に広い駐車場を備えた大型ショッピングセンター(大内地区のゆめタウン山口やザ・ビッグ大内店、平川地区のフジグラン山口やハイパーモールメルクス山口、小郡地区のイオンタウン小郡、防府市のイオン防府店等)が林立したこともあり、最盛期に比べ衰退傾向にある。(山口市 フレッシュアイペディアより)
-
-
山口市から見た松江市
山口市の人口は、1955年の国勢調査以降、全国の県庁所在地の中で長らく最下位であった。平成の大合併の動きの中、2005年10月に秋穂町・阿知須町・小郡町・徳地町・山口市が合併し3代目の山口市が誕生したことで、三重県津市の人口を抜いて一時的に最下位ではなくなった。しかし2006年1月1日に津市が周辺9市町村と合併すると再び山口市が最下位となった。その後、2010年1月16日の阿東町との合併で、当時の推計人口ベースで島根県松江市、鳥取県鳥取市、山梨県甲府市の各都市の人口を抜いたが、2010年の国勢調査では鳥取市と甲府市に抜かれ、松江市も2011年8月1日に東出雲町と合併したため、再び山口市が最下位となったが、2015年の国勢調査では、鳥取市、甲府市を抜き最下位を脱出し県庁所在地の人口では全国45位になった。(山口市 フレッシュアイペディアより)