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一場靖弘から見た西口文也
は球団が創設された年だったため、選手層の薄いチーム事情もあり、新人ながら一軍で先発ローテーション入りを果たす。しかし、同年5月19日時点で0勝7敗・防御率7.15と散々な成績となり降格。再昇格後となった8月27日の対西武ライオンズ戦(西武ドーム)では、西口文也が9回を完璧に抑える中で一場も9回無失点に抑える力投を見せ、勝敗は付かなかったものの完全試合献上を阻止。9月3日の対オリックス・バファローズ戦(フルキャストスタジアム宮城)では9回2失点(完投)でようやくプロ初勝利を挙げ、球団シーズン100敗を阻止した。しかし序盤の不振が大きく響き、2勝9敗1セーブと期待を裏切る成績で終わってしまった。(一場靖弘 フレッシュアイペディアより)
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細川亨から見た西口文也
は大半を二軍で過ごし、65試合に出場、178打数で.230、6本塁打だった。7月11日に長野オリンピックスタジアムで行われたフレッシュオールスターゲームに8番捕手で先発出場した。初回に竜太郎の内野安打で先制点を奪われたが、直後の二盗を阻止。2回の初打席は藤川球児からタイムリー安打を放った1。リーグ優勝でチームが祝杯を挙げた翌日の9月22日に一軍へ昇格。監督の伊原春樹は二軍監督鈴木葉留彦の推薦もあり、同日の対千葉ロッテマリーンズ戦で細川を8番捕手で先発出場させた。打撃では加藤康介の前にサードフライ、三振、サードゴロと無安打だった。守備では石井貴をリードし6イニングを無失点、三井浩二も1イニング無失点とし、8回から中嶋聡に交代したが、プロ初出場を完封リレーで繋ぎ勝利した。なお同日は主力のアレックス・カブレラ、和田一浩を欠いた試合であり、勝利したことで伊原春樹監督は新人監督プロ野球新記録の83勝を達成した。翌9月23日の対オリックス・ブルーウェーブ戦でも8番捕手で先発出場し、エース西口文也との初コンビだったが、2回の塩崎真の同点打で本塁突入した高見澤考史をブロックした際に右大腿上部を打撲して負傷退場し、翌9月24日に出場選手登録を抹消され、10月10日に一軍へ戻ったが、同年の一軍出場は2試合にとどまり、無安打に終わった。10月12日のファーム日本選手権で7番捕手として先発出場し、4回にダメ押しとなるタイムリー安打で3点目を奪ったが、4回まで無失点に踏ん張っていた帆足和幸が5回に6安打を浴び逆転され、バッテリーごと交代となった。(細川亨 フレッシュアイペディアより)
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石井一久から見た西口文也
、8月7日、対ソフトバンク戦で通算2000奪三振を達成(プロ野球20人目)。記録達成に要した投球回数は1967回2/3であり、これまでの最速記録保持者であった江夏豊を超えるプロ野球最速記録となった。しかし、シーズンでは6勝、防御率4.31と先発ではあまり結果を残すことができず、シーズン終盤にはリリーフに回った。リリーフでは安定感を見せ、特にクライマックスシリーズファーストステージ第2戦では、8回無死一、三塁から西口文也をリリーフして、糸井嘉男、小谷野栄一、稲葉篤紀を完璧に抑え、日本シリーズ第1戦の石井一久との投げ合いからこれまでポストシーズンで勝ち星のなかった西口のポストシーズン初勝利とチームのクライマックスシリーズファイナルステージ進出に貢献した。(石井一久 フレッシュアイペディアより)
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新谷博から見た西口文也
は西口文也に次ぐ2、3番手の先発と見られていたが、シーズン初登板となった4月9日の対オリックス戦で7安打6失点(自責点は1)の内容で3回で降板し、続く4月17日の対日本ハム戦では初回に6安打を浴びて5点を失い、1死しか取れずに28球でKOされた。この深刻な不振のため、初めて一軍登録を抹消されて二軍で調整を行っている。6月に一軍に復帰したものの再び打ち込まれて二軍に戻り、前年オフに伸ばし始めたヒゲを剃り落とし、走り込みと投球フォームの確認を続けた。8月18日に一軍に再昇格し、翌日の対ロッテ戦でシーズン初勝利を挙げたものの、同年はわずか2勝に終わった。同年の日本シリーズでは第4戦に先発し、4回を投げ6安打3失点で5回表に代打を送られ敗戦投手となった。3回の2死二、三塁の場面で安易に勝負に行き、古田敦也に2点タイムリー二塁打を打たれたことが敗北の大きな原因になったと評されている。オフの契約更改では3,000万円の大幅減で年俸8,000万円(推定)となった。(新谷博 フレッシュアイペディアより)