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西日本鉄道から見た九州水力電気
西日本鉄道は、1908年(明治41年)に設立され1911年(明治44年)に開業した九州電気軌道(九軌)が前身である。これに先立つ1902年(明治35年)には太宰府馬車鉄道(後に九州鉄道に合併)が二日市 - 太宰府間に馬車鉄道を開業している。1910年(明治43年)には福岡市内で福博電気軌道が、翌1911年には博多電気軌道が路面電車の運行を開始。両社は後にそれぞれ東邦電力と九州水力電気に吸収されるが、1934年(昭和9年)に福博電車が双方の軌道事業を引き継いだ。一方、1924年(大正13年)には九州鉄道(九鉄、国有化された1887年設立の九州鉄道とは別)が福岡 - 久留米間で高速電車を開業(現・天神大牟田線)し、その約1か月後に博多湾鉄道汽船(湾鉄)が新博多(後の千鳥橋) - 和白間で現在の貝塚線にあたる路線を開業している。(西日本鉄道 フレッシュアイペディアより)
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西日本鉄道から見たコクド
日本野球連盟が2リーグ制へ分裂した1949年11月26日、西鉄は社会人野球チームを発展させる形で西鉄クリッパースを創設。1950年1月28日運営会社西鉄野球株式会社を設立し、パシフィック・リーグの一員として参加した。1951年には同じ福岡市(平和台球場)を本拠地としていたセントラル・リーグの西日本パイレーツを統合して西鉄ライオンズと改称し、以後1972年まで所有した。ライオンズは1956年 - 1958年の日本シリーズ3連覇を含めて5度のリーグ優勝に輝いたが、1969年に発覚した黒い霧事件で戦力・人気両面で致命的なダメージを受け、福岡市内線廃止問題も浮上したことで西鉄は1972年シーズン後に中村長芳に球団を売却する。チーム名は太平洋クラブをスポンサーとして太平洋クラブライオンズとなる。その後クラウンライターライオンズを経て1978年10月に国土計画へ売却され西武ライオンズとなり、本拠地は埼玉県所沢市に移転した。なお、西鉄野球として設立された運営会社は福岡野球株式会社・株式会社西武ライオンズと商号変更を繰り返しながらも現在まで存続している。(西日本鉄道 フレッシュアイペディアより)
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