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カワスポから見た読売ジャイアンツ
阪神がシーズン2位で3年振りにクライマックス・シリーズ(CS)へ進出したことから、最終戦の終了直後からはソエジマへの条件付き企画として「CSもおっかけタイガース!」を実施。シーズン1位の読売ジャイアンツ(巨人)と3位の広島東洋カープ(鯉)もセントラル・リーグのCS(クライマックス・セ)に残ったことにちなんで、釣り初心者のソエジマが広島とのCSファーストステージ第1戦(甲子園)までの3日間で旧淀川の釣りポイントで体長60cm以上の巨鯉を釣り上げられれば、その時点から球場でのCS観戦権を得られる趣向になっていた。これに対してソエジマは、番組で手配したプロ釣り師からのサポートもあって、2日目に体長75cmの鯉を釣り上げることに成功。その結果、CSファーストステージの2連戦を甲子園球場の1塁側アルプススタンドで観戦できた。実際には阪神が2連敗で敗退したため、ソエジマにギャラは支給されず、10月18日放送分で完結した。(カワスポ フレッシュアイペディアより)
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GTVプロ野球スタジアムから見た読売ジャイアンツ
本項では、2008年まで読売ジャイアンツの東京ドーム主催試合をトップ中継していた「ダッシュ60 ジャイアンツナイター」についても述べる。(GTVプロ野球スタジアム フレッシュアイペディアより)
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野球ユニフォームから見た読売ジャイアンツ
また、練習用ユニフォーム(オルタネート)など公式戦では使用しないユニフォームを用意しているチームもある。シアトル・マリナーズなど一部のチームではホーム用ユニフォームを数種類用意し、試合ごとに選手の希望(大抵はその日の先発投手が選び、スターティングメンバー達もそれに従って着る)で好きなデザインを選んで試合することもある。あるいは、特定の曜日のみ、特定の期間限定として着用するユニフォームを用意しているチームもある(例: 千葉ロッテマリーンズや読売ジャイアンツの日曜日限定ユニフォーム、横浜DeNAベイスターズの夏季限定ユニフォームなど)。(野球ユニフォーム フレッシュアイペディアより)
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日本野球連盟 (プロ野球)から見た読売ジャイアンツ
1936年2月5日、日本3番目のプロ野球球団として活動していた東京巨人軍、前年暮れに発足した大阪タイガースの2球団を始め、名古屋軍、東京セネタース、阪急軍、大東京軍、名古屋金鯱軍の7球団で日本職業野球連盟(にほんしょくぎょうやきゅうれんめい)が設立され、4月に第1回のリーグ戦が開催された(但し、東京巨人軍はアメリカ合衆国遠征中のため参加できず。)。日本の団体競技で全国規模の社会人リーグ戦はこれが初めてだった。同年7月には東京巨人軍も参加しての連盟結成記念のトーナメント戦。9月-12月の秋季大会で初めて優勝チーム決定戦までを行った。(日本野球連盟 (プロ野球) フレッシュアイペディアより)
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プロ野球ドラフト会議から見た読売ジャイアンツ
1968年のドラフトでは山本浩司(広島1位)、田淵幸一(阪神1位)、有藤通世(東京1位)、野村収(大洋1位)、星野仙一(中日1位)、山田久志(阪急1位)、東尾修(西鉄1位)、大橋穣(東映1位)、加藤秀司(阪急2位)、大島康徳(中日3位)、金田留広(東映4位)、福本豊(阪急7位)、島谷金二(中日9位)、門田博光(阪急12位・入団せず)、藤原満(南海4位)、稲葉光雄(広島6位・入団せず)、長崎慶一(阪神8位・入団せず)、水谷則博(中日2位)など、1970年代から1980年代のプロ野球を代表する選手が数多く指名された。阪急が指名した15名のうち、3名(加藤、福本、門田)が2000本安打を達成し、1名(山田)が200勝を達成している。巨人はこの時、田淵が他球団に指名されてしまった場合には星野を1位で指名すると公言していたが、実際には星野ではなく島野修を指名し、それを聞いた星野が「ホシとシマの間違いじゃないのか」と発言したことも有名である。島野はこの後、選手としては大成出来なかったが、阪急に移籍・引退後日本のプロスポーツにおけるチームマスコットのスーツアクターの先駆者となる。100メートルの日本記録を更新し、1964年東京オリンピックと1968年メキシコシティーオリンピックに出場した陸上選手飯島秀雄が東京の9位で指名されたことでも話題を呼んだ。(プロ野球ドラフト会議 フレッシュアイペディアより)